斉藤ゆうこのあらかわ日和

 私は、あらかわ元気クラブとして、議案第26号、東京都荒川区立学校設置条例の一部を改正する条例に反対の討論をいたします。
 1988年の第1回定例会で、第1次統廃合の反対討論をしてからちょうど4年がたちました。この4年間に教育をめぐる状況は大きく変わりました。教育や学校を取り巻く状況が変わったこと、それは社会が大きく変わったということでもあります。
 今回、私がこの反対討論で申し上げたいのは、統廃合は公教育の崩壊状況を救うことはできない、むしろ教育への不信と地域の学校離れを促進するだろうという一点のみです。
 最近の状況について少し述べてみたいと思います。荒川の学校がなぜ小規模化するんだろうか。子供の数が減っているのは当たり前で、それは全国の状況です。ところが、もう一方で、越境の問題、私立志向の問題があることは、もうだれの目にも明らかな事実となっています。越境、私立志向はますますふえ、このままでは公立の小学校、中学校は、小規模化どころか、近い将来存在できなくなるのではないでしょうか。それはなぜなのでしょうか。
 大企業労働者になることがすべての世界、こういう世界が人々の価値観を形成しています。社会の価値観がそうなり、親の価値観もそうなっているというわけです。
 今、大企業労働者と中小企業や小さい自営業者の間には余りにも大きな格差が存在しています。それは、生涯賃金の面でもそうですし、福利厚生の面でもそうです。大企業労働者の一人の人、この人が得る生涯賃金、それと比べて荒川のまちで働いている多くの中小企業労働者や小さい自営業者の皆さんの生涯賃金、どれだけ違うでしょうか。もちろん福利厚生だって違います。小さい企業には、自分のところの労働者に手厚く福利厚生したいと思っても、それだけの力がありません。差がつくのは当然です。
 私たちはこの格差を是正したい、是正したいと労働組合でも言ってきましたが、残念ながら、是正どころか、この格差は広がる一方なんですね。こうしたことが原因となって問題は起こっていると思います。
 自分の子供たちを大企業労働者にしなければ一生の損だという親の焦り、それに受験産業が追い打ちをかけていく、こんな世界が荒川にもあります。二日小学校の現状を見て、私もちょっと悲しい気がしました。たった1人生徒が足りないために1クラスになって、校長先生から担任の先生、そして親たちもとてもがっかりしているそうです。隣には名門根岸小学校があります。これは根岸小学校神話とも言うべきもので、私はほとんど根拠がないものだと思います。根岸小学校に上がったからといって、何か偏差値が上がるとか、そういう保証もないわけですけれども、これはもうほとんど神話の世界であります。
 こうしたことに基づいて、残念ながら小規模化が進み、そして私立志向が進み、地域の公立小学校・中学校離れがどんどん進んでいくでありましょう。
 こんな状況の中で、大企業労働者になるために、いい幼稚園、いい小学校、いい中学校、高校、そして、いい大学を出なければという価値観の世界は、日本の経済の根幹を支えている中小零細企業や家内工業、町の商店や職人さん、こうした仕事をべっ視する世界、つまり荒川を否定する世界なのであります。
 先日、私は第三日暮里小学校の謝恩会に出席しました。いろいろ考えさせられることがありました。私は議員になって初めてのときに、ある自民党大先輩の議員から、三日小学校というのはこういう学校だよということを聞いたことがあります。この方は三日小学校の卒業生なんですけれども、三日小学校はこの地域の事業者や地場産業の師弟たちの学校だ、卒業生たちが同じ地域に住み続けて代々仕事を継ぎ、そして子も孫も同じ地域の学校へ通っている、そして学校を見守っているんだ。こんな三日小学校のように、多かれ少なかれ荒川の学校と地域の結びつき、このように形成されてきたんではないでしょうか。つまり地域社会の核として学校があるというわけです。
 私にとっては大変うらやましい世界でした。というのは、私自身は小学校から高校まで、自分の家がある地域の学校には通っていません。
 私の子供は、もう一方で、真土小学校、十中、そして地域の都立高校を卒業していきました。こんなことを比較してみると、いかに地域社会との結びつきということが学校を中心に成り立っているのか、そしてそれがいいことなのか、私にはそんなふうに感じられます。
 私は、こうした学校を核として、荒川のコミュニティを残しておくべき大切なものというふうに考えています。
 ところが、三日小学校ではこんな風景が見られました。子供たちが、「10年後の私たち」という劇をやったんです。この劇の中で、鶯谷から日暮里に行くJRの電車の中で、卒業生たちが出会うシーンなんですけれど、女の子たちの職業は保育園の保母さん、お医者さん、そして1人はビジネスガールという人もいました。そんな状況なんですけど、男の子たちはどういう世界だったかといいますと、残らずサラリーマンなんです。私は大企業のエリートサラリーマンさなんていう男の子から始まって、男の子の登場人物すべてがサラリーマンでありました。
 こんな状況の中で、三日小学校の地域で学校を育ててきた地域の事業者の人たちが、どういう気持ちでこれを見たでしょうか。私は大変複雑な思いがしました。男の子の職業は皆サラリーマンだというここに、先ほどの価値観の反映を見ることができないでしょうか。
 社会を支えるこうした労働に対する価値観を呼び起こし、荒川の教育に価値の転換を起こすために、教育委員会は誤った価値観と対決していく気構えが必要ではないでしょうか。深く本質に迫っていく姿勢が必要だと思います。結果としての統廃合では、今後対応はできないということをはっきり申し上げておきたいと思います。
 むろん、教育委員会だけの努力で解決できる問題ではないことも十分承知しています。親たちも変わらなければなりません。
 最近私は、統廃合に反対していた尾竹橋中学校の親たちの中から、本当にいい貴重な意見を聞くことができました。お母さんはこんなふうに言っていました。今まで親のエゴだとか、焦りだとか、受験戦争におくれをとるんじゃないかとか、自分の子供さえよければという考え方を持っていたけれども、やっぱりそれを改めていかなければならない、一番地域の身近な指定校を大切にして、その学校をどうよくするのかということが大事なんだということに気がついた、こんなふうな意見を聞きました。
 皮肉なことですけれども、統廃合の経験が親を教育しているんです。統廃合を経験した親たちの中から、こんな意見が聞かれることを、もっと大切にしてほしいと思います。こういう芽を育て、親の価値観を変え、地域社会の価値観を変えることが、教育委員会が住民や議会とともに行うべきことであり、それなら私も協力を惜しみません。
 荒川の学校教育、公教育の中に培われてきた残すべき大切なものは何なのか、教育委員会にこのことを問いたいと思います。
 もう1つ、これから社会では小規模化を生かした学校づくりこそ必要という点を再度述べておきたいと思います。「過疎を逆手にとる」という題名の本がありました。小規模化を生かした学校づくり、今本当に必要ではないでしょうか。小規模になるというと、過保護だとか、手をかけ過ぎるから子供がだめになるとか、皆さんはいろんなことをおっしゃいます。でも、過保護とかいう問題ではなくて、子供たち一人一人が発言し、クラスの中で仕事をし、議論ができる、そういう自主性を伸ばす教育が日本にも必要なんではないでしょうか。こうした教育を取り入れている欧米と、おのずと差がついてくるのは当たり前だと思います。日本の教育を、小規模化を生かして、もっと変えていく必要がある、そういう視点に立っていただきたいと思います。
 そして、昔の大規模校はよかったという意見を議会の中でも聞きます。それは、昔の大規模校の中では、何人子供がいても、勉強できる子だけがすべてという世界ではなかったからです。体育が抜群にできる子供も、工作が上手い子も、面倒見のいい子供にも価値観があったが、今はそうではないのではないでしょうか。校庭を埋め尽くす子供たちが号令一下行進するという風景が懐かしいという人になると、ほとんどファシズムという感じがいたします。
 以上、公教育を崩壊させかねない現在の教育を取り巻く状況をどうするのか、統廃合は解決策ではないということを申し上げてきました。人間の価値観の根底にかかわる教育の問題について、地域から真剣な努力を起こそうと訴えて、私の反対討論を終わります。