河内ひとみのあらかわ日和

2014年11月27日 2014年11月27日

斉藤ゆうこ
 あらかわ元気クラブの斉藤ゆうこです。一般質問させていただきます。
 昨年、1995年は、戦後50年という言葉がさまざまな意味合いや思いを込めて語られ続けられた1年だったと思います。敗戦から50年、日本の社会も経済も政治も大変大きく変貌しましたが、今日、我が国の社会は複雑な矛盾や病巣をはらみ、景気の長期低迷や住専問題に見られるように、経済は極めて不健全な状態を呈するようになったと思います。戦後50年を経て、我が国はこうした困難を抱えながら21世紀に向かおうとしております。とりわけ我が国が外交や国際関係の面でどのような進路をとっていくのかは、経済や国民生活そのものを左右する重要課題であることは間違いありません。
 私は、単独講和か全面講和かが激しく争われ、まさに我が国の戦後の生き方そのものを決することになったサンフランシスコ講和条約発効の翌年、1953年に生まれました。それから40年以上がたち、21世紀を目前にして、果たして日本はこれまでのようにアメリカとの関係一辺倒の生き方でいいのか。政治、経済、軍事のすべての面で日米基軸という従来の線に今後もかたくなに固執することで、21世紀、日本の発展はあるのか。こうした命題に突き当たらざるを得なくなってきたと思います。
 21世紀、日本の生き方を新たに問い直すとき、そこにアジア諸国との関係をどうしていくのかという視点が欠かせません。経済成長著しい中国を初めとして、NIES諸国の国際経済の中で果たす役割はますます大きくなっていることは言うまでもありません。昨年、大阪で開かれたAPEC会議をめぐる動向や、マレーシアのマハティール首相が提唱するEAEC構想などを考えるとき、集団としてのアジアが自立・自主の方向を強めて一つの勢力を形成していこうとすることに、我が国がどう対応するのかが迫られていると思います。21世紀の日本の発展を考えるとき、アジアとの互恵平等の協力関係緊密化は欠かせない要素であると思います。
 そこで、私は今回、「21世紀に向けて私たちの足元の地域からアジアを考える」というテーマで一般質問を行ってみたいと考えました。東京を含む関東圏は、関西や九州などに比べると、地理的条件のせいかアジアとの交流や経済関係の強化という点で関心が若干薄いのかもしれません。それでは、私たちのまちの中にアジアとの関係を考えていく要素はないのか。また、自治体という立場や地方議会という点では、交流の条件はどう存在しているのか。きょうは、地方と国政、国際交流、友好都市事業、中小企業の経済活動、教育、そして在日外国人というそれぞれの角度で荒川区からアジアを考え、質問や提案をさせていただきたいと思いますので、理事者の皆さんの率直な御答弁をお願いします。
 まず初めに、沖縄県が発表した国際都市構想と基地返還アクションプログラムについて質問をいたします。
 沖縄県は去る1月30日、沖縄基地問題協議会の席上で、2015年までに米軍基地をなくし、平和な沖縄を実現する国際都市構想と基地返還アクションプログラムを政府に示しました。私は1月17日から20日にかけて地方議員の会合で沖縄を訪問いたしましたが、この中で、私たち議員は沖縄県庁を訪問しまして、県の企画調整室の国際都市形成及び基地返還促進プロジェクトチームという大変長い名前のチームなんですが、そこの坂口一副参事のお話を伺う機会を持ちました。1時間半余りにわたって説明を聞き、質疑をさせていただいたんですが、私は、県がこの国際都市構想と基地返還アクションプログラムにかける並々ならぬ決意というのを聞いたと思います。
 そして、沖縄に滞在する間、地元のいろいろな地域の皆さんやタクシーの運転手さんや、そしてお訪ねをした機関などの方たちの話を聞きましたが、その中にも必ずこの国際都市構想やアクションプログラムというものを、当時はつくっていた段階ですから、これをつくっているんだ、ここで21世紀の沖縄を私たちは展望したいんだという沖縄県民の皆さんの率直な声を聞きました。
 この中身ですが、国際都市構想は、ポスト4全総に位置づけるために県が作業を進めてきたもので、国際都市形成等市町村連絡協議会を発足させて推進を図ってきました。また、基地返還アクションプログラムは、2001年から2015年の期間を3期に分けて段階的に基地を縮小して、県内各地域に亜熱帯農業開発拠点だとか、交通物流ネットワーク拠点だとか、産業技術交流拠点、そして沖縄の自然を生かしたリゾートエリア拠点などの位置づけを行い、用途転換を進めるということが計画されています。
 この構想とアクションプログラムについては、経済8団体からなる県の経済団体会議が、これは基地撤去の訴えだけでなく、総合的な跡地利用計画に着手したという点で県に敬意を表すると言うことで賛成を表明するなど、沖縄県民各層の支持と期待が高まっているというふうに言えると思います。
 ここに、この構想をつくった沖縄県国際都市形成及び基地返還促進プロジェクトチームの比嘉参事官のインタビューがあります。この中で参事官は、「沖縄では1972年以来、第1次・第2次・第3次の振興計画の中で自立的発展の基礎条件の整備が基本目標になってきた。ただ、今から振り返ってみると、国への財政依存の経済体制で、県の財政が22%しかない。失業率も高い。こういう今の状態ではいけない。21世紀に向かってみずからの足で立つ、自立に近づけられるということを考えて国際都市構想が生まれてきた」と語っています。また、「発展著しい東アジア地域、それと華南経済、沖縄はこの辺と本土とのちょうど結節点にあるということから、これを生かしていわゆる人の交流、物の交流を図りながら交易の中継点としての役割を果たしていけるのではないかと考えた」、こんなふうにおっしゃっています。
 基地返還アクションプログラムの方では、市町村が跡地利用計画を自主的につくっているかどうか。そのことの関係から、市町村の意向も聞いて国に提案をしたというふうに述べています。
 こうした沖縄の取り組み、私は、沖縄が取り組んでこられた今度の構想とアクションプログラムは大変重要な意味を私たち自治体にとっても投げかけているのではないか、そんなふうに思います。太田知事が、「沖縄に余りにも基地が集中しているために、行政が果たすべき産業の育成、教育、文化の振興ができない実情です。私は21世紀に夢と希望を与える沖縄をつくりたい。ぜひ御支援をお願いしたい」というふうに訴えられたことは、きのうの所信表明で藤枝区長が、21世紀に荒川区民が希望の持てる、夢の持てる、そういうまちをつくりたいとおっしゃったことに共通するものがあるのではないか、そんなふうに思います。
 ここに実物がありますが、これが国際都市形成と基地返還のアクションプログラムをまとめた資料です。ぜひ議会の皆さんにも、そして行政の皆さんにも読んでいただいて、この中から、私たちのまちが、自分たちの自治体を考えるときに参考になることはないか、そんなふうに考えています。
 このように、沖縄県の今回の構想と計画は、本来自治体が自主性を持ってみずからの将来像を描き、実現に向かって困難があればそれを一つ一つ取り除いていくという、いわば地域の生き方をめぐる問題として大変重要な方向性を持ったものではないかと思います。同じ自治体としてこうした沖縄県のスタンスに学ぶべきところが大きいと思いますが、藤枝区長はどのように評価をされるでしょうか。
 また、先ほども申し上げたように、アジアとの交流という視点からも、地勢的・歴史的条件を生かし、我が国全体の中での役割を適切に表現した内容になっていると思いますが、私たちのまちからアジアを考えるというときに、大いに参考になると思います。いかがお考えでしょうか。評価をお伺いしたいと思います。
 さて、4月16日、アメリカのクリントン大統領がやってまいります。この来日で、安保再定義は具体的なものになろうとしております。昨年来、日米間で交わされてきた安保再定義の議論は、既に村山政権時代の安全保障会議などで、アメリカ国防省の意向をまっすぐに受けまして検討が進められてまいりました。アメリカ国防省は、北東アジアに存在する軍事的脅威を強調し、また、中東を含む世界の全地域に対するグローバルな展開を必要とする情勢を説いて、その出撃拠点としての日本の基地の重要性を述べています。冷戦構造の終焉の中で、アメリカがアジアの新たな脅威に備え、さらに全世界へ足を伸ばすことができる条件を我が国の基地に求めていることは明らかであります。
 昨年8月の政府の安全保障会議は、既に核を保有している中国、核開発の疑惑が持たれる朝鮮民主主義人民共和国、これらの存在は北東アジアに緊張をもたらす重要な要素であるとして、アメリカの認識に完全に追随した見解を示しています。これは村山内閣のときですからね、念のため。
 こうした新たな脅威、かつてのソ連にかわるということでしょうか。これに対抗し得るものとして今後の日米安保、基地機能、防衛力整備計画がなくてはならないと、こうくるわけです。
 もちろんアメリカにはアメリカの国益があり、そして戦略がある。これは当然のことです。しかし、我が国はどうか。アメリカの国益と戦略に追随することが我が国に利益と幸福をもたらす保証はどこにもありません。とりわけ、日本はアジアの中の一国です。アジアの中にある我が国がアメリカと一緒になって、特定のアジアの国に対する敵視政策に同調するというようなことがあれば、もう日本は21世紀、アジアで生きていけないのではないでしょうか。安保再定義のもとで日本が特定の国を敵視する政策をとることは、国益上マイナスの結果をもたらすと私は考えます。
 そこでお伺いしたいのですが、地方自治体としての荒川区が、国の外交や時々の政策とは異なった立場で、アジアのどの国とも、またその人々とも友好的につき合っていくのだという姿勢を明確にできるでしょうか。
 私は、現実に日本が特定の国に対する経済制裁を発動したり、軍事的緊張状態に巻き込まれたりという可能性は今後十分想定できることだと思っています。そうなったとき、どういう状態が想定されるのか。現に、大変残念なことですが、一昨年には、皆さんも既に御存じのとおり、北朝鮮の核開発疑惑と一連の緊張したマスコミの報道などの中で、朝鮮学校に通う女子学生のチマ・チョゴリが切り裂かれるという事件が頻発する、こういうまことに恥ずかしい、悲しい出来事がありました。当時、荒川在住のオモニたちがこの問題を訴えに、藤枝区長と当時の北城区議会議長のところへいらっしゃったことはまだ記憶に新しい。こういう例だけではありません。日米開戦以降、アメリカに移民した我が国の人々が収容所生活を始めとしてどんな困難に遭ったかはよく知られることであります。
 このような状況を考えたとき、自治体は国とは違った地域独自の姿勢で、アジアのどの国とも、また人々とも友好的につき合い、人と人との交流の中から互いの見解を深めることにさらに努力を傾けてほしいと思います。御見解を伺います。
 また、関連して、今後の国際友好都市づくりについての考え方も伺いたいと思います。オーストリアのドナウシュタットも結構ですが、もっと身近なアジアへ目を向けて、具体的に友好交流を進める積極的姿勢が欲しい、そう思います。この点については他の会派の皆さんからも繰り返し質問が行われています。そろそろ明確なものを出していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

 2番目に、中小企業、零細企業の視点からアジアを考えるということで、きょうは若干の提案をして、また見解を伺いたいと思います。
 荒川の中小企業からアジアを見てみる、考えてみる。今、空洞化が言われ、そして水平分業というか、こうしたアジアとのさまざまな分業が必要であるという認識が起こってきています。日本全体がアジアとどうつき合うのか。国としての考え方、経済発展が著しいNIESとどうつき合っていくのか。地域としての考え方も求められてくることだと思います。
 私は昨年、ある中小企業団体の方から、私たちのまちの中小企業とアジアという視点で、どんなふうに考えられるかというお話をひとまとまりお伺いしました。その中では、荒川区が物づくりを残すということを明確にしていくのならば、物づくりを残すまちとしてのコンセプト、この考え方を確立して、そこでアジアの技術センターとしての荒川区という位置づけをしたらどうだろうか、こんな御提案をいただきました。
 皆さんも御存じのように、商工会議所の中のベンチャーグループは、一昨年、ベトナムを訪問されました。この中でベンチャーグループの皆さんは、ベトナムなどアジアの国々との関係を何とか自分たちの仕事との関係で探っていけないか、そこから自分たちの企業が発展していく、そして地域経済を活性化していく要素はないか、そんなことを探ってきたのだそうです。
 どの産業を荒川区の産業として残すのか、残せるかの選択は極めて難しいかと思いますが、アジアの技術センターとして荒川区を位置づけ、研修の人々を受け入れ、そして就労の条件をつくり、不法就労にならない形での技術の取得だとか、交流も含めたそういうことに寄与をしていく。また、こうしてアジアからいらっしゃった修学生の皆さんが住宅にお困りになるとき、荒川区は率先してその住宅も保証し、今空き家になっているような大家さんの提携を求めながら、こういう保障もしながら人を育てる、技術の里親、こんな考え方はどうだろうか。こんなことも伺いました。
 私は、今、私たちの区の地域経済を考えたとき、アジアとの関係、どうやってアジアに進出をしようとするのか、そのことの条件はどうなのか、そこで困難になってくることは何なのか。そして、区はどういう支援をしようとするのか。将来にわたって真剣に掘り下げて考えていく商工業振興の一つの視点ではないかと思います。
 そこでお伺いをしたいのですが、区内の中小事業者とアジア諸国との交流を活発化し、先ほど申し上げた「アジアの技術センターとしての荒川区」を我が区の一つのコンセプトとしたらいいと思いますが、このような考え方についてどう思われるでしょうか。
 また、中小事業者が行うこれからアジアと接触したい、交流したい、事業を現地へもっていきたい、また、現地から人を受け入れたい、こうした事業の推進に対する支援策や条件整備について区はどんなふうにお考えでしょうか。
 今回の質問では、まだまだイメージの点がぬぐえません。これから区が中小企業の活性化ということの一つの視点としてアジアをとらえるという中で、具体的に議論をして、また掘り下げていきたいと思います。ただ、1つ言えるのは、大企業がこれまでアジアとつき合ってきたつき合い方、これが決して現地にも、そして私たちの税金の使い方という意味でもいい効果をもたらしていない、これは事実です。むしろ互恵平等の関係を発展させるということができる担い手は中小事業者なのではないか、私はそんなふうに考えています。こうした点からも、荒川区にとって非常に重要な視点になってくると思いますが、初歩的な見解をお伺いしたいと思います。

 3番目に、学校教育の中で、21世紀、アジアの人々ときちんとつき合うことができる子供たちを育てる取り組みについて質問いたします。
 まず、日本とアジアの子供たちが事実に基づいた歴史認識を共有することが大切であると私は思います。アジアの国に行くとよく言われます。日本とアジアにかつて何があったか。私たちの国と日本との関係に何があったのかということを、アジアの人々はみんな知っている、知らないのは日本人だけだ、そんな言い方がされています。もしこういう関係が続いていくとすれば、日本人だけが知らない、そのまま大人になった今の子供たち、21世紀、アジアの人たちと経済の面で、文化の面で、国際交流でいろいろおつき合いをするときに、果たして本当に正しいおつき合いができるでしょうか。

 私は、教科書の記述や授業での取り組みというような具体的な点も含めて、今、日本とアジアの関係について事実に基づいた歴史教育、そういう認識をはぐくむために教育委員会がどのような努力をされているか、また今後するつもりがあるか、この点をまずお伺いしたいと思います。
 そして、昨年、戦後50年といったとき、我が区では盛んに区民の集団疎開の体験だとか、子供たちにとっても学童疎開がとても苦しかった、そのことから戦争を思い起こそう、こういう体験が語られました。戦後50年といったとき、本当に自分たちの戦争の苦しい体験、そのことだけで十分でしょうか。私は、日本人が戦時中に大変苦しい思いをしたそのとき、それでは私たちの国が土足で踏み込んでいた相手方の国の子供たちはどんな思いをしたのかに思いをはせるようなことができる教育、これが必要ではないかと思います。アジアの子供たちはそのときどうだったんでしょうか。そんなことが教育の中に取り入れられる要素があってこそ、空襲を受けた、集団疎開をした、親と離れ離れになった、帰ってきたら空襲で親が死んでいた、こんな悲しい思いをした日本の子供たちと、そのとき、その戦争の先にいた、向こう側にいたアジアの子供たちに想像をはせることができて初めて私たち日本の戦後50年を語ることができるのではなかったのか、そんな思いがいたしました。

 東京空襲の例があります。東京空襲では、その苦しい体験を語った東京空襲を記録する会というのがありまして、この中で俳句などが詠まれています。その中には、長い粒のお米、つまり外米ですね。外米を食べた。これがまずかった。戦争は苦しかった。こんな経験を戦時中の思い出として俳句に残しています。この長粒米はどこからきたのでしょうか。ベトナムから略奪したお米です。ベトナムでこのお米を略奪された人々が200万人餓死しているという事実を東京空襲の被災者は知らなければならない。こんなことが荒川区の社会教育の講座の中で語られていました。
 こういう視点を持ったときに、学校教育の中でどういう事実認識をするのか、極めて大切です。お答えいただきたいと思います。
 そして、マレーシア・シンガポールへの中学生派遣事業12年、教育委員会はこの中間総括をどのようにお考えになっているでしょうか。派遣された子供たちの事前学習や帰ってきてからの報告、そうした取り組みはどんなものになっているでしょうか。この子供たち、派遣された子供たちだけではなく、クラス全体のものにこうした取り組みがなっているのだろうか。日本とマレーシア・シンガポールとの関係を考えたとき、中学生の派遣事業がどういうふうな広がりを持っているのか。この点をお伺いしたいと思います。
 さらに、文化青少年課などと連携してこの条件を生かすことができないか。また、この事業を教育委員会だけのものとせず、区全体で何かこの要素、シンガポール・マレーシアとの交流を生かしていく。また、これは議会の問題ですから議会が決めるべきことと思いますが、私たちの海外視察などの取り組みの中に、当然、12年間中学生がお世話になってきたシンガポール・マレーシアという視点も入ってくると思います。こうした角度からも総合的に生かしていくべきと思いますが、今後のあり方について区としてのお考えを伺います。

 最後に、在日外国人にとって暮らしやすいまち荒川を目指して、幾つかの点を質問させていただきます。
 外国人登録法の抜本改正について、地方自治体が国に向けた要望を出して久しくなります。最近、外国人登録証の原票開示が行われました。そこで、区は抜本改正についてどのような態度をとっていくか明確にしていただきたいと思います。指紋の完全廃止、常時携帯の廃止、これは、参政権問題がいろいろ言われてきましたけれども、それに優先させて行われるべき根本問題であると思います。見解を伺います。
 2番目に、本名就学の取り組みと今後の評価について伺います。
 本名就学、荒川区は率先して行ってきました。この取り組みの中で着実な成果を上げていると教育委員会は言われています。本当に本名就学の結果、いじめや支障になるようなこと、荒川区では起こっていないでしょうか。と申しますのは、実際に隣の足立区では、本名就学をしている子供がいじめられてけがをしたというような事例が出てきています。こういうとき、教育委員会はどうフォローしていくのか。そして、23区、また東京全域の中でも、日本の学校に子供たちを通わせる在日韓国・朝鮮人の親の会、保護者の会が結成され、その中ではさまざまな悩みが語られていると言われます。本名就学をした責任を教育委員会が本当に全うしていくというのであれば、こうしたフォローについてもぜひ丁寧に行っていただきたいと思いますが、聞かせていただきたいと思います。
 そして、3番目に、外国人学校、ここで私が申し上げているのは、荒川にある朝鮮第1初級・中級学校、具体的に申し上げます。この民族教育支援についてお尋ねしたいと思います。
 民族教育というのは、民族固有の言葉だとか、文化だとか、風俗だとかを守る大変深い意味のある取り組みであると思います。この民族教育を支援するという行政の役割は重要です。今回、幼稚園についても新規に3500円という補助を行うということが初めて決定されました。今後こういう大切な意義を持つ民族教育支援という視点をどう発展させ、補助を行っていくのか、区の考え方をお伺いしたいと思います。
 最後に、在日外国人との交流拠点づくりについてお伺いします。
 三河島の駅を含む開発の中でも、情報国際化拠点というようなことが言われ、ソフトの面だけでなく、ハードの面でも川崎の桜木のような会館をつくる、そして、そこを交流拠点にする。また、先ほどの沖縄ではありませんが、物や人の具体的な物的な交流も含めた、そういう拠点としてセットする。こんなことが全国各地で行われています。荒川ではどうでしょうか。こうした拠点を具体的に設けて国際交流を推進していくべきと思いますが、お考えを伺います。
 以上です。

区長(藤枝和博)
 沖縄県が行っております取り組みに関する御質問にお答えいたします。
 御質問にございました沖縄県が策定した国際都市形成ビジョンや基地返還アクションプログラムは、沖縄という地域の持つ歴史的、地理的な特性や問題点などを十分に踏まえた上で、県の抱えている課題をいかに解決していくか。そして、県を21世紀に向けていかに発展させていくかについて、借り物ではない自前の発想に基づいて、自主的、主体的に検討した結果のものと存じます。
 構想などの内容につきましては、現時点では詳細に把握しておりません。また、区は内容について論評すべき立場にございませんが、しかし、自治体としてのこうした政策形成への取り組みや、その実現に向けての県民ぐるみの具体的行動など、その基本的姿勢や情熱については、私どもといたしましても大いに参考にすべきものがあると存じます。
 また、アジアとの交流という視点につきましても、沖縄県がアジアを重視する立場をとっているのは、沖縄の持つ歴史的蓄積や地理的特性を十分に生かすという戦略に基づくものと推察いたしております。
 荒川区におきましても、今後区が国際交流を始め国際化社会における産業振興あるいは教育などの施策を考えるに当たりましては、我が国がアジアの一員であるとの認識の上に立ち、さらに、区内に住む外国人約9400人のうち9割を超える人が韓国、朝鮮、中国などアジアの国の人々であるといった実情を踏まえ、施策を展開していく必要があると考えているところでございます。地域社会の国際化の時代にあって、産業や経済、文化などの面において、アジア諸国との結びつきは重要な視点であると考えております。
 次に、荒川区がアジアのどの国の人々とも友好的につき合うべきであるとの御質問についてお答えいたします。
 日本が国家として外国に対して外交上どのような立場をとるかということにつきましては、国政レベルで判断され、また議論されるべき事柄であると認識いたしております。一方、自治体が行う国際交流は、住民対住民、市民対市民といういわゆる草の根の身近な個人レベルの交流が基本となるものでありまして、国の外交政策とは違った視点で行われるものでございます。したがいまして、荒川区が国際交流を進めていく上で最も重要なことは、国情の違いにとらわれず、日本人と外国人が互いに民族や文化などの違いを認め合いながら、対等な立場に立って友好的な関係を築いていくことであると考えております。

 荒川区におきましては、国際交流協会も設立され、多くの在住外国人との交流が言葉や生活習慣の違いを超えて個人対個人の形で行われております。こうした中で、区内に数多くお住まいのアジアの人々とその国の文化に対する理解も着実に深まってきているものと認識しております。
 区といたしましては、今後もこうした交流を通してアジア諸国の歴史、伝統、文化に対する区民の理解を深めるためさらに努力を重ねてまいりたいと考えておりますので、御理解、御協力のほどよろしくお願い申し上げます。

 地域振興部長(小室敏夫)
 私の方からは、最初に、国際友好都市づくりに関する御質問にお答えをいたします。
 我が国は古くから隣人とも言えるアジアの国々との文化的、経済的な交流を通じまして、相互に発展を遂げてまいりました。今後ともアジアの国々との結びつきをさらに強めていくことが必要であり、中でも地理的、歴史的な関係の深い東南アジアとの密接な交流が重要であると認識いたしております。
 荒川区内に住む外国人の多くが韓国、朝鮮や、中国あるいは東南アジアの人々であります。区といたしましても、芸術文化事業や国際交流サロンなどを通じ、これらの国の人々と交流を深め、相互理解に努めてまいりました。また、中学生の国際理解を深める上からも、シンガポール・マレーシアへの中学生派遣事業を12年前から実施いたしております。昨年からは、シンガポールの小中学生が荒川区を訪問し、区内の家庭にホームステイをして交流を深めております。
 以上のような観点から、今後国際交流を考えて行くに当たりましては、交流の相手方をアジアの都市に求めていくことは重要な視点であると考えております。シンガポール・マレーシアを始めアジアの都市との交流につきましては、これまでの実績を踏まえまして、より幅広い交流を検討してまいりたいと考えておりますので、御理解をお願いいたします。

地域振興部長(小室敏夫)
 次に、「アジアの技術センターとしての荒川区」を区のコンセプトにしてはどうかとの御質問にお答えいたします。
 アジア諸国との経済活動がさまざまな形で活発化している中で、区内中小企業の生き残り策の一つとして、産業にかかわる海外からの研修生の受け入れ策を契機として産業交流が行われることは有効であるとの御質問の趣旨には、私どもも一定の理解はできるものであります。
 今後、区内企業の研修生受け入れ体制の整備などにつきまして、幅広く区内産業界の御意見等を聞きながら研究してまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 続きまして、アジアとの交流や事業についての区の支援や条件整備につきましての御質問にお答えをいたします。
 経済の国際化が進展する中で、海外との経済活動がますます活発化してきております。企業が海外で経済活動を展開する上で大切なことは、相手の国の経済状況や受け入れ体制などにつきまして正しい情報と認識を持ち、適切な準備をした上で経済活動を行うということが大切であると認識をしております。
 そこで、区は近々、海外に関する販路、あるいは投資とか、マーケット、金融情報などにつきまして、国あるいは都道府県などで実施しております相談・指導機関などすべてを網羅いたしました「中小企業の国際化ハンドブック」というものを発刊する予定でございます。このハンドブックには、海外進出の失敗事例だとか、あるいは海外での経済活動のマナーなどといった点も掲載する予定でございます。また、年度内に、「中国経済と投資の現状」という題をもちまして、区内中小企業を対象といたしました講演会の開催も予定しておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

地域振興部長(小室敏夫)
 続いて、外国人登録法の抜本改正についての御質問でございますが、現行外国人登録法の改正要望につきましては、区民である外国人の方々から継続的に要望等をお聞きしているところであります。機関委任事務である当事務についてのこれらの要望につきましては、区としても改善の必要性を認識するところも多く、監督官庁であります東京都や外国人登録事務協議会等を通じまして国へ働きかけてきたところでございます。
 これらの結果といたしまして、電算データの個人情報の開示や外国人登録原票の写しの開示等につきましては実現をしてきたところでございます。しかしながら、多くの在日外国人の方々から強い要望のあります書きかえ済み登録旧原票からの指紋部分の削除や、外国人登録証の常時携帯制度の廃止等につきましては、まだ改善がされていない状況にございます。
 これらの方々の日本における歴史的経緯や定住性等の実態にかんがみまして、区といたしましても時代に即応した新しい外国人登録法の制定が必要と考えておりまして、国にさらに強く働きかけをしてまいりたいというふうに考えてございます。今後とも基本的人権の尊重の観点から、他区との協調、協力を図りながら、制度改正のためになお一層努力をしてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 最後に、在日外国人との交流拠点についてお答えをいたします。
 地域社会における国際化を一層推進し、在住外国人との交流活動をより活発なものとしていくための条件整備といたしましては、組織づくりや機会づくりは最も重要でありまして、そのために交流の拠点を設けることも効果の高いものであると認識はいたしております。
 区といたしましては、荒川区国際交流協会と連携をとりながら、国際交流サロン、あるいはまた日本語教室、ふれあい会などさまざまな事業を展開しているところでございまして、こうした事業を通じまして、国際理解と地域における交流が着実に根づいてきております。今後さらにこれらを拡充いたしまして、発展させていきたいと考えております。
 また、御指摘のありました施設のあり方につきましては、一定程度理解できるところでございますので、そのように進めたいと思いますが、しかしながら、施設整備につきましては多額の経費を要する施策でもありまして、既存の施設の活用なども含めまして、必要性や可能性について検討してまいりたいと考えておりますので、御理解のほどよろしくお願い申し上げます。

教育長(中村昭雄)
 学校教育におきましてのアジアと日本の歴史認識にかかわる御質問にお答えいたします。
 各学校におきましては、現在、社会科の授業を通して、過去に日本がアジアにおいて行ったことや当時のアジアの人々の様子などについて学習し、子供たちが事実を事実として受けとめた歴史認識を深める努力をしているところでございます。
 今後とも、社会科等の授業はもちろんでございますが、アジアの国々と日本のかかわりなどの教材の開発、資料の収集、アジアの人々との交流等、多様な教育活動を工夫しながら、アジアと日本の歴史認識を深める教育活動に努めてまいりたいと考えております。
 次に、中学校生徒の海外派遣についてでございますが、この事業は、これからの国際社会に生きる人間として、世界の人々と友好親善を深め、豊かな国際感覚を身につけ、国際社会に貢献できる人間になってほしいという願いから実施をしているものでございます。
 これまで派遣生たちは、現地中学生との交流やホームステイを通しまして友情と信頼の輪を深め、これを他の中学生に広め、国際理解と親善に大きな成果を上げてきたところでございます。
 今後、両国との相互交流へと発展させていきながら、教育委員会といたしましても、これらの交流を通しまして、同じアジアに生きる人間としての協調や共感、連帯の心をはぐくむ国際理解教育の一層の推進を図ってまいりたいと考えております。
 次に、在日外国人の本名就学についての御質問にお答えいたします。
 本区におきましては、昭和60年から本名就学を積極的に呼びかけまして、子供たちが本名を使用し、安心して学校生活を送れるような環境づくりを積極的に進め、その成果が着実に上がってきております。また、教育指導における在日外国人についての理解と認識を深める研究活動を奨励し、また教育指導に生かしているところでございます。

 教育委員会といたしましては、子供たちが自国の民族としての誇りを持ち、自信を持って本名を名乗れるよう、一層の啓発と環境づくりに努めるとともに、自他を認め合い、ともに生きる子供たちを育成するよう、人権尊重教育、国際理解教育の推進に今後とも努力をしてまいりますので、よろしく御理解賜りたいと存じます。

総務部長(高橋祥三)
 外国人学校における民族教育支援についてお答えいたします。
 異国の地において行われる自国の伝統や文化を継承する教育は、その国の人々との相互理解を進める上で重要なことと考えております。本区にも外国人学校が存在し、永住者の多くの子弟が通学しており、学校行事などを通じて地域との交流や相互理解が進みつつあることは喜ばしいことでございます。
 区といたしましては、今後ともお互いの理解と協力が進められるよう努めてまいりたいと考えておりますので、よろしく御理解のほどをお願い申し上げます。