斉藤ゆうこのあらかわ日和

 私は、あらかわ元気クラブとして、1990年度の荒川区の一般会計決算の認定に反対の討論を行います。
 1990年度は、言うまでもなく藤枝区政元年であります。89年9月に町田区政の継承を掲げて当選された藤枝区長の第1回目の予算がどのように執行されたのか、決算特別委員会の審議を通じて、また、現在進行形の91年度の予算の中からも見えてくる藤枝区政の特徴的なあり方について、大いに異議あり、区政の理念は一体どこにあるのかというのが私の結論であります。
 90年3月、この予算の編成に当たって、私は「10年間の町田区政に対し、批判を続け、財政運営の根本的な転換を求めて予算・決算に反対してきた立場から、町田区政を継承すると述べた藤枝区政に対し、何が継承され、そして何が変わっていくのか、4年間厳しく点検を続ける責任がある」と申し上げました。
 その最初の1年の決算はどうだったでしょうか。
 区長は、90年度の施政方針説明の中で、「やり直しのきかない時期である」というふうに述べました。この認識は私も全く同じです。83年以降の中曾根政権がつくり出した民活、規制緩和を推し進める政治は、東京一極集中と東京を出発点として全国に拡大した地価高騰をつくり出しました。そして同時に、それは建設、不動産業界からの政治献金を生み、リクルート事件に象徴される官僚政治家と大企業との癒着構造を生み出してきました。バブル経済はこうしてつくり出され、そして今崩壊の局面を迎えているのです。バブル経済の形成と崩壊はさまざまな犠牲を引き起こしながら進行していますが、こうした政治、経済の流れは、私たちのまちにも決して無縁ではなく、それどころか、密接な関係を持ってきたと言えます。川の手新都心構想、区内2ヵ所に進出したリクルートは、その典型的なあらわれでした。大企業を呼び込み、社会的弱者切り捨てで進められてきたツケは、区民生活の上に大きくのしかかり、同時に、区政の方向転換をしなければ置き去りにされてきた産業振興も、福祉も、住宅政策もどうにも建て直しのできないところにあったのが、90年からの私たちのまちが置かれた状況であり、その意味で、まさにやり直しのきかない時期であったのだと私は思います。
 さて、予算の編成に当たって、私はこの予算に反対する理由を2つ申し上げました。
 まず第1点は、基本姿勢が評価できないという点です。先ほども述べたように、行革、民活導入、大企業呼び込みを活性化と称して強行してきた町田区長の路線は、弊害が大きく出て、住民の大多数のための区政とはとても言いがたい状況となり、後半にははっきりと社会的批判も受け、破綻したと私は思います。それに対し、1年目の藤枝予算が、充電に名をかりた様子見的な内容では到底済まされない、誤りを認める姿勢、おくれを認める姿勢から出発せよというのが、基本姿勢を評価できない私の理由でした。
 そして第2点目は、予算の消極性、つまり、質的にも量的にもどこに積極性があるのか、こんな予算で区民の要求にこたえて仕事をしようという元気があるのかという点でした。
 この2つの点から、決算を経て私が感じたことは、予算編成に際して、私が持った危機感よりもさらに深刻な危機感を持った、つまり、こうした理念のない消極的区政を続けていていいのだろうかということです。この年の23区平均の予算の伸び率が前年比8.8%という中で、荒川区の伸び率は2.6%、下から3番目でした。区長は伸び率にはあらわれない積極性を持った予算という表現をされましたが、量がなくて質的な保障はどこにあるのか、お手並みを拝見したいものだと私は思ってこの1年を眺めてまいりました。しかし、残念ながら、決算の審議を経て、伸び率にあらわれない積極性を見ることはできませんでした。
 町田区政から藤枝区政に転換したこの年、我が区の課題は、すっかりおくれて23区中24番目になってしまった福祉をどう立て直すのか、区長が温かい区政を標榜する背景には、はっきりと町田区政の福祉切り捨てに対する区民の強い批判が意識されていたはずです。そして、各区のこの年度を皮きりとして区の政策をつくり積極的に取り組もうと始めた住宅政策をどうしていくのか、それに、私たちの区の多数派である小さな自営業者、商工業者の人々とともに、苦境に立つ区内の商工業支援策をしっかりと整え、実行していくこと、この3つがどう変わっていくのかだったと私は考えています。
 区民生活の充実にかかわる重要課題でしっかりした理念、哲学を持ち、予算執行上も一貫性を持って仕事に取り組む、新しい区長の転換点であるからこそ、区長から一職員まで徹底した仕事を進める理念の確立が最も必要だったときではないでしょうか。残念ながら、この年度と、そして、現在進行中の藤枝区政の中から、そうした理念のかけらも感じることができないというのが、私の率直な感想です。
 23区を見ますと、各区がそれぞれの置かれたまちの歴史的背景や現状の中から、自分のまちらしい街づくりを進めるにはどうしたらいいのかを真剣に考え始めています。その背景には、住民の居住権を弱いものから順に脅かしていったと言える地価高騰に襲われ、コミュニティが崩壊し、人の住まないまちが出現するという問題があったことは否めないと思います。
 こうした中で、区民が住み続けられる街づくり、自分のまちの条件を生かした根本的な活性化策に取り組むことが本当に必要とされてきました。こうした中で、荒川区をどういうまちにするのかという基本的な街づくりの理念が、町田区政にかわる理念の確立こそが最も求められているときであるのに、この2年間の藤枝区政から、そうした新しい街づくりの息吹や理念といったものが感じられないのです。
 このことは、特別区交付金と区が行ってきた基金積立の関係からも明らかだったのではないでしょうか。89年度の特別区交付金は293億、そしてこの90年度では、予算で269億円ですが、決算では予想を上回って310億円の収入済額となっています。今年度の予算額が282億円ですから、過去最高の水準であります。
 ここ数年間の地価高騰による固定資産税収入の増大は、異常な都財政の膨張をもたらし、そして、それは特別区交付金として23区に分配され、区財政を潤してきました。荒川区も例外ではありません。いわば、東京都のバブル財政のおこぼれに各区があずかってきたと言えるのですが、皮肉なことに、都民の懐を痛めた結果の都税収入で豊かになった区財政で、一体何をするのかが問われた年だったのではないでしょうか。
 ところが、この年の基金積立総額は、前年の約54億を上回る約79億4700万円にも上り、これも過去最高と言える水準です。ちなみに今年度の基金積立予算額は約30億4800万円ですから、90年度は今年度の倍以上も基金に積み立てたというわけです。予算の伸び率を2.6%に抑え、一方で、特別区交付金で潤った財源を大々的に基金に積み立ててしまう、こんなやり方ではなく、このとき本当に必要とされていた産業振興、福祉、住宅、この3つを中心とした区民生活の充実、皆さんがよくお使いになる言葉で言えば、区民生活のレベルアップに理念をもってお金を使うべきだったのではないでしょうか。新しい区政の理念の欠如、そして、具体的な予算執行面での消極性、これが私の決算認定に反対する総論であります。これは今後も引き続き重要な問題として、藤枝区政に課せられる課題となっていくでしょう。
 さて、決算特別委員会で審議された各款にかかわって、幾つかの問題点について意見を述べておきたいと思います。
 まず、荒川の福祉はどうあるべきかです。
 高齢者福祉の一定の進みぐあいに対して、障害者や子供たちのための福祉は一体どうなっているのでしょうか。もちろん、高齢者福祉も、単にこれまでの立ちおくれや停滞に一定の歯どめをかけ、何とか他区とのつり合いをとった程度ではだめということは言うまでもありません。
 障害者福祉についてですが、地域福祉計画の中で障害者向けの住宅、そして施設の改造、道路の段差の改造など、車いすの人たちやつえを使用して歩く人たち、そして目が見えない人、さまざまな障害を持った人たちが暮らせる街づくりのための計画をはっきりさせるべきではないでしょうか。これは単なる計画というだけではなく、目標を定め、何年度までにどの程度施設を改造するのか、どことどこを行うのか、そしてどういう順番に仕事を進めていくのかという、そうした推進に対するチェックの体制をつくることも必要であると思います。そうでなければ、計画は実行に移していけないでしょう。こうした障害者が暮らせる街づくり、伸び伸びと暮らせる街づくりは、決算委員会の中でも明らかになったように、健常な人もが生き生きと暮らせる街づくりであります。道路の段差の解消や施設の改造、そして住宅計画ということが単に障害者福祉という角度からだけでなく、全体の街づくりの中の計画に位置づけられ、どこに住宅を幾つつくっていくのか、そして、新しくつくる施設があれば、そこではどんなスロープやそしてエレベーターが必要なのか、道路では段差の解消をどう進めていくのか、こうしたことを総合的な観点で進めていくべきではないでしょうか。
 そして、保育行政についてです。
 保育行政や教育行政の充実が若い人たちの定住につながるまちの生命線であるということは、私も既に述べてきましたし、この議会の中でも、会派を問わず、超党派で言われてきた問題であると思います。にもかかわらず、今回の決算委員会の中で、私は福祉部、そして保育行政に携わる部門の重大な姿勢のおくれ、認識の違いを指摘せざるを得ないと思います。
 現在、産休明け保育について、荒川区では8ヵ月から6ヵ月への月齢の引き下げが行われました。しかし、これは23区の最低水準をやっとクリアしたという状態です。これでは、子供のいる共働き世帯の転居を食いとめる助けにもなりません。既に、公立での産休明け保育は品川区、目黒区、大田区、豊島区、練馬区と予算の時点でも6区が実施しています。こうした積極的施策が求められているにもかかわらず、基本的に0歳児は家庭で保育すべきものなどという超時代おくれな、そうした答弁を平気で繰り返すということは、福祉切り捨てに対する何らかの後遺症とも言えるのではないでしょうか。早くこうした姿勢から立ち直り、保育行政についてもきちんとした施策を確立すること、そのことが若い人々の定住につながる問題であるということを繰り返し申し上げておきたいと思います。
 そして、23区中最もおくれていると言える住宅政策についてです。
 住宅政策の問題については、この年度、23区どこの区もが競って新しい政策を打ち出そう、自分のまちはどういうふうにしていくのかの中で、住宅政策を区独自に展開していこうという、区の住宅政策元年の年でありました。在勤者で遠方から通勤している人、もともと荒川区に住んでいたにもかかわらず区外に転出しなければならなかったような人も含め、職住接近の街づくりという理念を掲げる我が区としては、勤務地の近くに居住をしたいという意向を持つ人の調査を行い、文字どおり職住接近の街づくりを実行するための住宅政策をつくることが必要ではないでしょうか。そして、家内工業や商店主など、仕事場と住宅が同一であるという、こうした小さな自営業者の皆さんのための住宅政策ももちろん必要です。
 福祉的施策として、先ほど述べました障害者やそしてどんどん増え続ける高齢者に対する住宅政策が必要なことはいうまでもありません。つまり、こうした総合的な住宅政策というのは、街づくりそのものであるということなんです。街づくりの理念に裏づけられたそういう住宅政策をつくる、そのために各区では、住宅条例を制定しています。現在、6区が制定している住宅基本条例、この考え方は、理念を先に持ち、メニューの先行やメニューの追っかけでない、街づくりとリンクした行政としての住宅政策をつくるということから始められたことです。家賃補助だとか、借上住宅だとか、あれこれのメニューに気をとられ、隣でもやっているからうちもそれを入れようというようなことだけでなく、まず、荒川の街づくりをどうするのかとリンクした住宅政策の確立、基本理念の確立が、この問題こそ一番重要であるといわなければなりません。そしてこれを実行する体制として、行政として総合的な観点や、体制づくり、このことが不可欠であります。早急に確立すべきであるというふうに思います。
 さらに、産業振興策のおくれをどうするかという問題です。
 この問題については、決算、予算の討論や一般質問、そして所属委員会でも小さな自営業者に対する支援は荒川の活性化と街づくりの基本という観点から、私は繰り返し姿勢をただしてきました。ところが、今回の予算では、50万円の調査費がついただけの産業振興施設基本構想審議会は2年連続して実施計画を補正し、先延ばしにしているという現状なんです。拠点がない中でどうして真剣に産業振興に取り組むことができるでしょうか。産業が衰退しているという中で、中小企業のまち東京では、同じく中小企業、零細企業を多く抱えてきた他区の中でも、墨田区や大田区では、これまで区が基本姿勢をはっきりと持って対処してきました。墨田区では、既に、公的アパートの建設から、民間レベルでも、中小零細企業の経営基盤を整備し援助しようという住宅政策まで展開をし始めています。荒川区の深刻な中小企業、商工業振興に対する、まさに基本姿勢が欠け続けているのではないでしょうか。
 また、この年はひぐらし小学校、南千住第二中学校の建設が進められた年でありますが、現在、提案されている小中学校統廃合の第2次計画と関連して重大な内容を含んだものであると私は受けとめています。校地拡張を置き去りにされ、不退転の決意で進められたひぐらし小学校校舎建設は、タイムリミットを決めて見切り発車をしました。そのために、校舎にあるさまざまな欠陥、そして決算委員会の中でも指摘されたエレベーターが設置できなかったということ、そして、ごらんになっていただければわかりますが、まだ工事中の校庭、こうしたことを見るにつけ、私はあの統廃合計画をちゃんと合意ができ、そして校地の拡張を待って進められなかったという、その最低線さえクリアすることができなかったことに責任を感じ、そして怒りを感じるものです。こうしたことはすべてこの見切り発車のもたらした産物でした。このことを第2次計画ではどうやって反省し、進めていくというのでしょうか。
 私は統廃合推進の基本的な考え方に反対です。現在進む区立中学校離れ、不信感の原因をはっきりさせて、教育に信頼を取り戻すことこそ教育の第一義的な課題だということを申し上げたいと思います。
 もう1つ、今回は、建設されたさつき会館の利用にかかわって荒川区の同和対策事業、同和行政のあり方についても、一言申し上げないわけにはいきません。
 同和対策事業、同和行政はなんのために進めているのでしょうか。荒川区の同和対策事業は、荒川という地域の中から差別を一掃し、そして人権を大切にするということ、部落差別にかかわる問題についての重要な行政側からのアプローチであります。こうした問題は、イデオロギーだとか党派だとか団体だとか、こうしたことがいろいろな形で取りざたをされていますけれども、私は全くそういうような問題ではなく、どういうまちをつくるかの、人権を大切にするまちをつくるかどうかの大切な根幹であるというふうに考えています。
 この間、さつき会館の利用にかかわって、地域に対する偏見が露見したとも言えるあの会合での区民の方々の発言がありました。そして車いすでさつき会館を利用しようとした人の中からは、何でここはエレベーターがないんでしょうという疑問がわいてきました。この会館は、人権尊重の拠点ということで同和対策事業の一環で建てられた施設なのですよと言うふうに私が説明をしましたら、それなら、なぜそういうことを明記しないんでしょうかというお答えが返ってきました。さつき会館の利用にかかわる同和行政、さまざまな政治的圧力やそして会派間でのいろいろな問題、そうしたことにとらわれているならば、本当の意味での部落差別をなくすこと、同和行政の推進はできないでしょう。
 私たちのまちの根幹の問題として、人権を大切にする街づくり、このまちの人々が差別をなくす側に立っていくような街づくり、荒川のまちにとって欠かすことができないと思います。さまざまな終末処理を押しつけられた私たちのまちであるからこそ、こうした問題はまち全体の問題なんです。部落差別の問題をいたずらに隠したり、目立たないようにしたり、あいまいにしたりすることで、このまちをいいまちにすることはできないと私は思います。火葬場、処理場、そうしたものがあるこのまち、そういうことを忌み嫌うことが本当に正しいことでしょうか。人間が生きていく上では、ごみも出れば、下水も排出されます。終末処理をしていくまちはそれこそ人間らしい営みのまちであると言えるのではないでしょうか。こうした中で部落差別をなくす問題、同和行政の推進の問題も考えていかなければならない、これは基本的な観点の問題であります。
 最後に、藤沢区政の初めの1年を振り返り、一言申し上げておきます。
 11年間続いた町田区政には、確かに、明確に一つの理念がありました。この理念をめぐって住民はさまざまな声を上げ、私たちは議会で口角泡を飛ばして議論を闘わせてきたのでした。大企業呼び込みの開発優先区政が本当に私たちのまちの活性化につながるのか、私はノーであると言い続けてきました。強い者、大きい者への到達を掲げ、隣のまちに15階建てのビルが建つなら、こちらは16階建ての屋上から見下ろすという、そんな気概ばかりが強調された町田区政は、その裏側で力の弱い者や隠しておきたいものにふたをして見なかったことにするという思想で進められる区政でした。こうした町田区政は社会的批判の前に破綻をした、つまり、理念はあったけれども、その理念そのものが間違っていたと私は総括しています。間違っていたにしろ、理念を掲げ、これに共鳴する人々とともに闘ってきた区政、つまり目標に向かって闘う区政、これは一つの区政のあり方であります。
 藤枝区政の根拠は一体どこにあるのでしょうか。区長から幹部職員、一般職員までが一つの目標を持ち、住民や議会と一緒になって、その目標に向かって仕事をする姿勢が果たして見受けられるでしょうか。今の区政は何に左右されているのでしょうか。政治的な圧力や住民の利害に対して、公選区長らしい選挙を意識した配慮で接するような態度を超え、区長としての一貫性を持つ姿勢こそ、今求められているものであると私は思います。
 残る2年弱の任期の中で、区政が根本的に転換しなければ荒川の街づくりの未来はないと申し上げて、私の反対討論を終わります。