河内ひとみのあらかわ日和

2014年11月27日 2014年11月27日

 私は、あらかわ元気クラブとして、1989年度荒川区の一般会計決算の認定に反対の討論を行います。
 1989年は10年間続いた町田区政が終わり、町田区政を継承することを公約として登場した藤枝区長へと引き継がれた年であります。この年のことはまだ記憶に新しい極めて象徴的な年でありました。全国的には1985年以降のいわゆる国際協調路線のもとで、摩擦を調整し、日本の大企業が活躍しやすい環境をつくるために円高、産業調整、農業をつぶし、炭鉱を閉山し、合理化を推し進めて国民にその犠牲を転嫁し続けた自民党政治に対する怒りが頂点に達した年であったと思います。この年4月に導入された消費税はこうした怒りに火をつける役割を果たし、東京では都議会選挙、そして参議院議員選挙で自民党に対する大打撃を与える結果になりました。戦後一貫した日米基軸の政治の弊害が国際協調という路線のもとではっきりと示された。そして地方にとっては地域経済が多くの被害をこうむり、まちごとさびれ、つぶされていくという過程をたどる中での出来事でした。
 東京はこうした地方の犠牲のもとに見せかけの繁栄を築いてまいりましたが、東京の下町はそんな中でも矛盾が集中し、衰退の方向をたどらざるを得ませんでした。東京の中で最大の工場集積地域の一角にある私たちのまちは、製造業の工場集積率が33.14%と、墨田区の33.42%についで東京第2位の高さであり、10人以上の小さな工場が88%を占め、全体で約2万人の労働者が働いています。区内1万8000の事業所で働く人々は10万8000人に上っていますが、商業も工場もその大多数が経営規模の小さい小規模零細企業であります。円高や産業調整の犠牲は地方のまちだけでなく、小さな下請け企業や家内工業が密集した私たちのまちの地域経済にも大きな影を落としてきたのです。一見繁栄しているかのように見える東京の中で進む産業構造の転換に対応し切れず、苦悩する下町の姿があったのです。しかも、東京一極集中のもとで地価の高騰が進み、とりわけ23区は住民が追い出され、住み続けられないまちになってきました。私たちのまちもその例外でなく、勤労者からもお年寄りからも悲鳴が聞こえてくるのが現状です。
 さて、このような政治の流れの中での東京の一角の私たちのまちをどうするのか、現実を直視し、地域経済を立て直すことを正面課題に据えて、働く人々やお年寄りの住宅や生活環境を向上させるために、荒川区は一体どうしたらいいのかに取り組まなければならなかったはずです。そのためには必要とあれば国や都と争い、住民とともに改革を迫ることだってやらなければならなかったんです。ところが、この数年間行政はそんなことを真剣に考えすらしなかったのではないのかと疑われるような節が予算、決算を見ても如実にあらわれています。
 そうした意味で、今回の決算は一つの節目であります。南千住に生まれ育った町田前区長が恐らく感じられたであろう内心のいらだち。活力ある荒川にして見返してやるんだと、そう思ったかどうかわかりませんが、そうした心情は理解できないことはありません。しかし、問題なのは、区を憂う気持ちがあったとすれば、真の活性化のためには一体どうしたらいいのかの路線選択が誤っていたとしか言いようがないんです。地域経済の衰退を長期間放置してきた過程に対し、行政改革と民間活力導入、大企業呼び込みで活性化を図ろうとしたその路線が区民の強い非難を浴び、真の活性化となり得なかった、これが昨年までの結論であったと私は思います。肝心なことを放置し、それ以外のことに熱心だったと感じられるこうした区政は、決して町田区長一人の責任ではありません。行政マンではなかった政治家町田区長の理念を計画につくり上げ、実行に移してきたのはほかならぬ藤枝現区長をはじめとする区の幹部職員の皆さんだったはずだからです。この点では、私を含め議会も同罪であったかもしれません。
 それでは、私たちのまちの真の活性化のためにはどうしたらいいのか。この答えは今回の決算委員会の質疑の中からも浮かび上がってはきませんでした。率直に言って、私にも先ほど述べたようなまちの現状を克服するために真の活性化のための新しい答えというのは見つかっていません。ただ、まちの大多数を占める中小企業労働者や小さな自営業者、つまり勤労者の営業や生活の環境の実態を変えていくことにもっと注意を払い、住民の中に議論を起こし、地域経済の活性化のための方策をともにつくり上げる、そのことをまず中心に据えること。そして、進む高齢化の中で在住のお年寄りが安心して暮らせる環境づくりなどで、必要な対策に真剣になること。荒川区を荒川区らしく発展させるための工夫と努力を行政も議会も住民と一緒になってやっていこうということを皆さんに呼びかけたいと思います。
 長々と述べましたが、1989年決算の認定に際して、区政のそれぞれの分野に対して、あれがない、これがないということよりも、区政の総方向に異議ありと申し上げたいと思います。
 さて、決算の数字について見てみます。年度別に歳出総額の推移を見ますと、83年に387億だったのが、84年には444億、85年、463億、86年、510億、87年、539億、88年、604億と膨張し、この年はついに649億にも上りました。7年間で約60%というこの決算額の膨張は財調交付金の急増に裏づけられています。そのお金をどう使ってきたのか、何度も言ってきましたが、土木費と基金積立にお金をつぎ込み、民生費を切ってきた方向はこの年度もかわりがありません。民生費の構成比は83年、40.8%だった。ところがこの民生費が88年には32.1%となり、この年度ついに27.9%と30%台を割り込みました。しかも、執行率88.7%と唯一90%台を割る低い執行率、このとこは何度も決算委員会の中で指摘されました。不用額は88年19億7000万をさらに上回って、何と22億9000万にまでなっています。それに引きかえ土木費は急増し続け、この年度も17.2パーセントを示していましたが、その他に基金積立もあるわけですから大変なものです。基金の総額は54億8000万、過去最高であります。こうした中で肝心の産業経済にどれだけ関心を払い、仕事をしたかと言えば、この10年間一貫して構成比は2パーセント台というありさまです。地価高騰による都区財調交付金の膨張を大規模開発につぎ込んだ区の姿勢は数字にはっきりとあらわれているのであります。
 さて、歳出の不用額ですが、この年度は87年度36億円、88年度43億円をさらに上回り44億円を余らせて過去最高であります。こんなことでよいのか、全く腹立たしい限りです。こうした不適切な財政執行、財政運営はもうやめにすべきだと申し上げておきます。
 各款については決算委員会の中で指摘したことに加え、とりわけ申し述べることはありません。ただ、産業経済費について、区の特色、現状を踏まえた商工業の根本的活性化策がない、産業振興施設を先延ばしにして、民間の脱税会社のビルを借り続ける、これはもう怠慢を通り越して許せない事態だと私の怒りを表明しておきます。
 この程度の仕事で産業の活性化などと言わないでほしい。体制にも問題があります。区内産業界の人々をむしろ啓発し、ともに議論を闘わせてくらいの人材が必要なんです。つまり荒川の実態に精通した産業政策のプロの人材を育成し、拡充すべきなんです。福祉も同様ですが、人の問題、マンパワー、これが問題解決のための大きな要素です。このことを軽視して本気の行政はできません。勤労者福祉共済制度については加入促進に個別勧誘をしているようですが、その効果はいかがなものか。こうした手工業的な方法ではなく、商工業会の団体、組織にきちんと意義を説明する機会を設ける必要があります。中小企業、商店は危機的な従業員不足に悩んでおります。大企業との賃金、労働条件面での格差が拡大する一方ですから、福利厚生面での格差是正に寄与するこの制度の必要性はどの経営者にも認識されるはずだと考えますが、いかがでしょうか。
 もう1点、消費税元年であるこの年、歳入の伸び率6.4%は、その前年の伸び率12.5%を大幅に下回りました。特別区民税によるこうした影響に加えてたばこ消費税、電気税、ガス税という貴重な財源をも奪われ、消費譲与税をもってしても補えないマイナスを区財政につくり出しました。財政自主権を侵害するものとして消費税導入に反対した自治体も多い中で、私たちの議会と行政の責任が問われる数字であります。この点については、現行消費税廃止を選挙公約に揚げた藤枝区長の区長としての見解をお伺いしてみたいものだと思っております。
 以上、申し述べて私の反対討論を終わります。