河内ひとみのあらかわ日和

2014年11月27日 2014年11月27日

 私は、あらかわ元気クラブとして、議案第34号、荒川区基本構想に賛成の討論をいたします。
 1987年秋に開かれた荒川区議会第3回定例会で基本構想が議決されてから、12年がたちました。この年は、1974年、今から12年前に区長に初当選された町田健彦・前区長の3期目の初年度でありました。当時の中曽根内閣による4全総の決定、規制緩和で都心部のオフィスビル需要を呼び起こす政策は、これらの不動産の所有者である大企業を潤わせ、そして余った資産を投機先となった企業の株価をつり上げました。こうしてつくられた地価高騰とバブル経済は、その必然的な崩壊によって、今日もなお我が国経済にはかり知れないゆがみをもたらしています。
 1985年から87年までの2年間に、地価は1.7倍、株価は3.2倍にはね上がりました。当時の町田区長は、この流れに呼応し、8つ目の副都心を目指す「川の手新都心構想」を発表、これを荒川区活性化の決め手として大々的に宣伝しました。1987年版の第1次荒川区基本構想は、この「川の手新都心構想」を中心に、荒川区の未来を描こうとしたものであり、当時の経済的・政治的情勢を色濃く反映した開発型区政の理念が特微であったと思います。
 私は、第1次基本構想の策定に当たって、東京一極集中、地価高騰と地上げの横行から区民を守れるだろうか。「川の手新都心構想」は、「心ふれあうまち」「潤いのあるまち」の目標に相反して、地価高騰に拍車をかける危険性に満ちていると述べて反対をいたしました。
 12年が過ぎ、バブルの頂点を経て、長期構造不況の真っただ中に至った今も、当時の傷跡はこのまちに残っています。無人ビルとなったコリンズビルがその典型です。結局、外部の大きな力に依存した開発型区政と街づくり政策は、その後の90年代にも引き継がれ、町屋中央地区再開発事業や荒川遊園地下駐車場建設に見られる、起債による大規模な公共事業が財政悪化に拍車をかけることになりました。今、第1次基本構想を振り返り、新たな基本構想の策定に当たるとき、これを大きな教訓としなければならないと思います。
 私たちあらかわ元気クラブは、1996年(平成8年)3月の予算委員会・総括質疑で、初めて新たな基本構想策定の必要性に触れ、藤枝区長のお考えを尋ねました。区財政の悪化の中で、区財政改革と予算緊縮の議論だけが先行する状況に対し、こうした議論の前提に、まず21世紀、この荒川区をどういうまちにしていくのか、その新たな構想を示すべきではないかと申し上げました。あれを削る、これを削るのやりくりの前に、荒川区としての戦略、とりわけ財政力をどう強化していくのかの戦略がなくてはならない。その根本は、地域経済の自立である。地域の主体性を示し、地域経済自立を目指した新たな基本構想を策定するつもりはないかとお伺いしました。藤枝区長は、「時代の変化に対応した基本構想の策定は大事なことだろうと考える。財政状況が非常に厳しく、先が見えてこない中だが、将来の目標はしっかり定めなくてはならない。そのように努力する」とお答えになっています。
 その後も、基本構想策定に向けた職員によるプロジェクトチームの会社調査をするつもりはないか。こうした調査の上に、根拠のある税財政、行財政改革の考え方を示せる基本構想をつくっていただきたいと、同年10月の決算委員会締めくくり総括質疑等で要望をしてまいりました。「まず、新たな基本構想を」「21世紀、区民が将来に希望を持てる基本構想を」、これが私たちの会派としてのこの数年間の中心課題でありました。
 さて、1997年(平成9年)には、自由党の鳥飼議員が、第2回定例会一般質問などで新たに基本構想の策定について質問され、その後、基本構想審議会が翌1998年(平成10年)7月30日に発足し、1年1ヶ月の討論を経て答申が出され、今日に至りました。鳥飼議員は、基本構想の必要性について、介護保険の導入、長期の景気低迷による税収不足、特別区制度改革の推進による清掃事業の区移管、阪神・淡路大震災の教訓を生かした震災対策、街づくりなど、この10年間の区政を取り巻く環境の大きな変化と直面している問題等を挙げられましたが、そのとおりであると思います。私たち元気クラブは、藤枝区政が、こうした区議会からの意見を反映しながら、21世紀の入り口に荒川区としての新たな基本構想を完成されたことを、まず高く評価したいと思います。
 さて、私たちは、この2月に「あらかわ元気クラブの基本構想-21世紀に『小さくても元気なまち・あらかわ』を目指して」を策定しました。その動機として、私たちは、日本経済が構造的な不況の真っただ中にある今、経済基盤の弱い荒川区は荒波に巻き込まれ、生活・営業の危機が自営業者や働く人たちに押し寄せている。地域再生のためには、思い切った区政の転換が必要になってきたと書きました。そして、この構想は、今、このまちに住んでいる人々が豊かになることを第一に考え、少数のお金持ちでなく、区民の大多数を占める働く人たちのための基本構想である。また、外部の力に頼るのではなく、区民が持っている力を100%生かして、まちを活性化することを基本としたと、私たちの考え方について冒頭に書きました。これは、第1次基本構想の教訓であります。
 ことし2月の第1回定例会で、これまでの区政の総括と今後の提案という2つに分けて一般質問をし、概要版6万枚を区内にお配りして、基本構想への議論に力を入れてきたことは、既に述べましたとおりでございます。産業政策-地域経済をどうやって再生させるのか-をまず第1に掲げ、財政の健全化をどう実現するのかの考え方を示したのが私たちの提案の特色ですが、おおむね今回提案された基本構想と、その精神において一致しているのではないかと評価をしております。
 今回提案された基本構想「ともに築く 生活創造都市 あらかわ」は、その形式においても、内容においても、第1次基本構想とは大きく異なった姿を見せております。
 まず第1に、「策定の理念」について、地方自治の本旨を踏まえ、区民の幸福の追求を基本に、地域社会の現実を目指すことを明記され、そして憲法で保障された基本的人権を侵されることなく、すべての人々が自由・平等であり、平和で社会的公平が保たれる地域社会の実現を述べています。また、区と区民が対等なパートナーシップの関係に立ち、自立した区民が互いに連携し、地域に活力を生み出すための主体的活動を行う地域社会の実現を目指しています。これらを掲げられたことは、大変重要であります。
 第2に、「基本構想の位置づけ」の中に、国や都、民間事業者などが、荒川区にかかわる施策、事業などを行う際に、尊重すべき指針としての役割を果たすものであると述べられております。こう明記されたことは、地方自治体としてのプライドと主体性にかかわる問題であり、一層難しくなっている国や都との関係の中で、荒川区がこれから自立した自治体としてどう生きていくのかにかかわる大切な部分であると思います。
 また、第3番目に、「地域特性と課題」を挙げられたこと。野の中に、生活関連産業などの集積を生かしたネットワークの構築や新分野進出などによる産業の活性化に向けた取り組み、そして人々が生まれ育ったまちに住み続け、また、戻り住むことに希望を見い出し、誇りと愛着の心をはぐくむなど、まちの発展を支える定住化への取り組みを挙げられました。私たちと全く同じ問題意義であると思います。「荒川区とはどういうまちなのか」「どのようなほかと違った地域特性があるのか」と、私たちは繰り返し区当局にも認識を求めてまいりましたが、こうした分析が簡略ながらも描かれ、課題へ結びついている点も評価したいと思います。
 さて、新たな基本構想は、3つの基本目標を掲げました。第1に、生活に根差した産業と教育・文化が築く創造とにぎわいのまち。第2に、思いやりと助け合いが息づく健康と安心のまち。第3に、生活ややさしい町並み空間が支える安全と潤いのまちであります。この3つが目標ですが、この実現に向かってどのように区政を転換していくかが、まさに今後問われる問題であると思います。
 私は、今議会の一般質問で、この区政はこのままでいいのだろうか。新たな基本構想策定をきっかけに、3つの問題を問うとして、3点を質問いたしました。街づくり、教育、産業、いずれも困難で、どのように基本構想の理念が生きるのか、これらの大切な課題の中に、その問題はあると思います。
 また、私たち元気クラブは、財政の健全化についても取り上げました。地域経済の活性化を基本に、区民が豊かになり、その結果、区財政も豊かになる長期方針をつくることを基本に、区や都に対して泣き寝入りしない姿勢で財源を確保することを明記いたしました。こうした税財源の足腰をどう強めるのか、まさに今後の課題であると言えます。
 全会派の一致した賛成で可決されようとしている新たな基本構想「ともに築く 生活創造都市 あらかわ」が、21世紀の荒川区をつくる理念として大切にされることを心から望み、また、その実現に向けては、区当局や他会派の皆さんとも厳しく意見を闘わせていくことを最後に申し述べまして、私の賛成討論を終わります。