河内ひとみのあらかわ日和

2014年11月27日 2014年11月27日

 私は、あらかわ元気クラブとして、1993年度の荒川区一般会計予算に反対の討論を行います。
 東京を中心として、企業から自治体まで日本全国がバブル景気に踊っていたここ数年と打って変わって、今、我が国は昨年来の厳しい不況の真っただ中にいます。土地、株の高騰で、企業から一部個人投資家までが莫大な利益を得、消費経済に浮かれたつい最近までとは一変した状況があります。
 今回の不況は、バブルの崩壊に始まり、自動車、電気など、すそ野の広い製造業の大規模な減産、合理化が進行し、あらゆる業種、あらゆる社会層に影響を及ぼしながら長期化の様相を呈しております。
 85、6年の円高不況では、円高が原因で輸出型産業が打撃を受けたという因果関係がはっきりしておりましたが、今回の不況は、さまざまな要素が絡み合ってつくり出されたいわば複合不況ともいわれており、先行きの見えない中での不安定な状況は、相当長期に続くのではないでしょうか。
 こうした中で、もちろん区内の中小に企業にも大きな影響が出ており、消費購買力の低下で冷え込む区内小売業とともに、小さな自営業者の多い荒川の地域経済は深刻な打撃を免れないでしょう。
 ちょうど1年前から始めた不況実態調査でお会いしたある下請企業の御主人は、「円高不況で工賃が否応なく切り下げられ、どうしようもない状態だったところで、やっと一息ついたのがこの前の景気だというのが実感だ。バブルの恩恵なんて我々にはないのも同然だよ」と語っていましたが、実際はこんな状況だったのではないでしょうか。
 いくらか息つぎをし、内部留保が少しできた区内企業でも、長引く不況の中で、次第に経営の困難さが顕在化してくるのは間違いなく、残業カット、勤労者の消費購買力の低下が商店街に及ぼす影響と相まって、この先時間がたつにつれ、ますますこうした状況は深刻化するに違いありません。
 こうした区内商工業者をどう支援するのかは、「活気ある産業のまちをつくる」とうたった荒川区にとって避けて通れない課題であります。来年度予算は、その編成の姿勢において、こうした問題を真正面に据えているのかどうか。私は全く疑問であります。
 私たちのまちの地域経済は、産業発展の根底を支えてきた中小零細企業によって形づくられてきました。藤枝区長が地域経済の活性化こそ荒川区の生命線であるという事実に気づかれたのであるならば、なおさら長期化する不況のもとでの今回の予算編成にそのことを反映させるべきだったのではないでしょうか。私は来年度予算に反対する第1の理由としてこの問題を上げざるを得ません。
 確かに、公的機関に対し、区内企業への発注促進の要請行動を行ったり、「お買い物は荒川区で」のキャンペーン活動に取り組んだことは、これまでと違って積極的な一面であり、経済課の職員の皆さんを始め、担当部局である地域振興部の熱意のあらわれであると思っています。行政もやっと事の重大さに気づき、重い腰を上げたのだなと所管の常任委員会の一人として心から喜んでおります。また、緊急不況対策融資の充実も必要で、ますます区内業者の実態に近づけた融資の支援を進めてほしいと思っています。
 しかし、中小企業問題は口先だけ、実際は、大企業の活動のみを限りなく支援するという現在の国の政治を見れば、中小企業、零細企業を抱えるまちの行政の姿勢がこれでよいのかということが厳しく問い返されてくるはずです。
 大企業と国の政治家の金による癒着、また、こうした金で政治が動いているという事実は、金丸さんのうちのカーペットについた金庫の跡を見れば明らかであります。その一方で、大企業の下請として酷使され、景気の調整の安全弁として工賃を切り下げられ、仕事をストップされる中小零細企業、日米間矛盾を口実に、大店法の改正で圧迫され、不景気のあおりで悩むまちの商店街、余りに対照的ではないでしょうか。
 こうした人々を現実に目の当たりにする最も身近な地元の自治体がとるべき態度は、直ちに国や都に対し、中小企業軽視の政策の転換を求め、下請いじめや中小商店つぶしに通じるあらゆる行いに対し、実効性あるチェックを求めることです。現在の不況で大企業だって大変だと言うかもしれませんが、内部留保の質、量が違います。まず、中小企業の救済ありきです。そうでなければ、せっかく地域経済に目を向け、産業振興云々と言い始めても、これまた国と同じに口先だけで、実効性のないものになってしまうでしょう。
 権限の限られた自治体として区ができること、できる事業を最大限やるということだけでなく、不況のもとで厳しい状況の企業を多く抱える区が合同して実情を訴え、国や都に対策を求めたり、行動を起こすことは可能なはずです。
 円高不況のとき、私は円高不況突破区民大会を開けと言って当時の町田区長に笑われましたが、笑い事ではありません。地域経済を必死で守るために、住民と一緒になってこうした行動をとった自治体はたくさんあるんです。決して、いわゆる革新自治体ではありません。
 もともと、東京は中小企業のまち、とりわけ下町、東部地域は東京最大の工業集積地域であり、また、地域商店街もまだ残っている地域です。区民が困難なとき、区民とともに闘う姿勢、対外的にもこうした姿勢が明らかになるような区政を示すべきときだと思います。
 さらに、具体的な予算の中身に言及いたします。
 融資ばかりで、他に事業がないと何年か前から私は指摘しています。そうは言っても、区がやることは限られているとおっしゃるでしょうが、そんなことはありません。確かに、苦境にある地域産業振興にどう予算を使うのかは単純なことではありませんが、一つは、先ほど述べたように、他区との共同研究などを進め、地域としてどう生きるのかの中に明確に産業を位置づけ、対国、都などの機関や、社会的にもそのことを強くアピールし、地元自治体の力の及ばない問題にも果敢にアプローチするための予算を組むことです。
 この点で、今年度、来年度と続けて予算化されている4区工業フォーラムは重要です。無秩序な宅地化や場当たり的な開発が工場を邪魔者にし、商店を圧迫するような状況に行政がさんざん手をかしたとも言えるこの10年間の東京の中で、こうした産業の街づくり、東京から物づくりをなくしてよいのかという視点は遅すぎたと言えますが、大切な手がかりであると思います。こうした取り組みこそもっと積極的に推進し、成果を具体的な行動や事業に反映させるべきです。
 さらにもう1つ、地域産業振興の主人公は、中小事業者自身であるというのが原則であります。行政の役割は、どうやってこの当事者の活動を支援するのかという点にあるのです。事業者の方々自身の自覚や問題意識、そして活動の質も近年急速に高まっているのがわかります。これは厳しい状況を反映して、後継者として頑張ろうと決意した方たちの生き残ろうとする必死さのあらわれなのだと思います。そのことは、行政も十分おわかりになっているはずです。
 それならば、なぜ活動支援の予算は、旧態依然とした補助金だけなのか。現に、若手商業者のグループなどは、地域とみずからの事業とにかかわる将来展望を求めて、身銭を切って自主的に活動し、研さんを深めています。区内事業者の団体との関係を緊密にすることはもとより重要でありますが、それだけでなく、大胆に予算をとり、後継者の皆さんに実際に役立つ活動支援を大きく行うべきだと思います。
 こうした予算の枠取りについては、あらかじめ調査を行って詳しく研究し、細かく分析して予算化するというやり方もありましょうが、むしろひもつきにせず、大枠で活動支援事業費とし、使い方も含めて、思い切って当事者の方々に任せるという発想が必要ではないでしょうか。こうした支援は、決して狭い意味での個々の営業を助けるためなのではありません。人手のない中身銭を切って活動する人々は、地域経済の活性化策なくして、みずからの生き残りもないことを知っています。
 行政はやはり立ちおくれているのではないか。私は、来年度の予算案を見て、そう痛感いたします。産業振興の担い手である彼らの信頼にこたえる行政たり得るのか、十分に反省していただきたい。私は、予算委員会の席上、産業経済費のあり方として、今申し上げたような提案をし、質疑の中で、理事者の責任ある答弁を伺いたかったのですが、まことに残念ながら、反対討論として述べざるを得ない諸般の事情は御存じのとおりであります。
 とにかく、かつてのように事業者の皆さんに元気がない、意欲がないと、長いこと人のせいにしてきたのは論外としても、融資拡大、地元発注、商店街振興キャンペーンでやれることは全部やったとするのであれば、とんでもない間違いです。頑張る当事者の人々から、意欲がないのは行政だと言われるのは目に見えている。
 この5年間の商店数の減少率、荒川区は23区中で3番目です。地域経済の疲弊は、想像より色濃いこと、そして、そのことを当事者が一番よく知っていることを行政はもっと知るべきだと思います。
 区長、たすきをかけての行動、まことに御苦労さまだと思いまして、私キャンペーンに行って、写真を撮りましたけど、申し訳ないんですけれど、それだけではだめなんです。行政の先見性、先を見て予算をつくる力がないと、不況の中で荒川区の生命線は断たれてしまうのではないでしょうか。危機感を持って反対の意見を申し上げておきます。
 さて、この間、法人税、固定資産税の膨張というバブルの恩恵をほかならぬ自治体自身も受けてきました。今回は、予算編成自身にも、不況という厳しい経済環境はしっかりと影を落としています。景気の先行き不透明、国の予算は、国税収入の大幅減でわずか0.2%の伸び、都財政も逼迫、もともと区税収入の割合の低い我が区にとって極めて厳しい状況です。
 国は、こうした情勢を背景に、国庫補助金等の整理、統合に一層拍車をかけ、地方に対する負担のしわ寄せを強めています。検討段階で出された保育所人件費については、厚生省等の強い反対で先送りされましたけれども、保健所運営費交付金、保健婦の人件費はカットされ、特定財源から外されて、地方交付税の中へ組み込まれる形になってしまいました。
 厚生省は、全国800ヵ所にある保健所を半数の400ヵ所にするという計画を持っており、再来年度内の立法化を目指して、審議会をつくり、検討を進めているそうです。この保健所のあり方の見直しの中では、保健婦は、在宅高齢者の訪問看護にのみ徹すればよい、公衆衛生という概念はもう時代おくれだという驚くべき暴論が出ているそうです。国のゴールドプランが示したヘルパー10万人計画が困難なので、保健婦を数の足しにしようとでも言うのでしょうか。
 エイズという新たな問題に取り組んでいるまさにそのとき、公衆衛生は時代おくれなどと言う。どういうつもりで言っているのでしょうか。妊産婦、赤ちゃんの健診から、高齢社会が進む中での高齢者、障害者支援、また、精神衛生事業など、赤ちゃんからお年寄りまでの健康づくりの上で、公としての仕事を行っている保健所の事業から国が撤退したら、果たしてどうなるのでしょうか。しかし、これはほんの一例にすぎず、恐らく、このままでいけば、国のさらなる補助金削減の流れは強まる一方であると思います。
 こうした流れの中で、区民にとって必要不可欠な公の事業をどう守るのか、そして発展させるのかが問われています。権限は持ったままで、人も金も自前でやれとばかり地方に負担を押しつけてくる国と闘って、公的事業に対する国の負担をきちんと行わせるのか。それとも、自力で人も金も作って、ますます切迫してくる高齢者福祉や、まちの活力の大切な財産である子供たちの福祉や教育の充実をやり遂げるのか。
 国からの補助金減を理由に、福祉、保健、教育などの水準を切り下げることなどもうできないはずです。国庫負担削減を背景にした地方行革、そのもとでの福祉切り捨てで、荒川区はもう十分な授業料を払っているのではありませんか。
 現在、国の負担を前提にして行っている保健所、保育園、各種の手当、生活保護事業、学校教育など、区民生活の最も根幹に当たる仕事の水準を守り、高めるためには、相当の決意を持って国と闘う自治体であるべきです。区長の所信表明からも、今回の予算委員会の質疑の中からも、残念ながらこうした区の姿勢を感じることはできませんでした。
 国と闘って地方の事業を守ることができない自治体は、生き延びることができないのではないか、私はそう思います。財政が厳しいので、あれを切ったら、これを減らしたらなどという議論は、豊かさとゆとりを標榜する区政のもとで、余りにレベルが低いのではないでしょうか。
 区税収入が低く、独自財源に乏しいこと、財政効率が悪いことは決して地域のせいではありません。住み分けが進んだ東京の中で、その東京の産業の繁栄を支えてきたのは、安い工賃で仕事をしてきた荒川の下請零細企業ではないでしょうか。こうした地域特性は、何ら恥じるべきことではないと私は思います。だからこそ、国に対しても、特別区制度改革の中でも、毅然とした態度で自治体への負担押しつけに反対すべきと思います。
 特定財源を外し、一般財源化する限りない流れは、また、こうしたお金を何に最も使うべきなのかの裁量が問われる問題でもあります。大多数の住民の利益を大切にする区なのか、特定の人々との結びつきに終始する区政なのか、区民からも審判を受けるでありましょう。今後の予算執行、次年度の予算編成の改革、区長の首長としての決意を待ちたい、そのように考えます。
 以上、長期化する厳しい不況下、荒川区はこれにどう対処するのか、地域経済と財源問題の大きく2つについて予算に反対の理由を述べました。以下、ごく簡単に各款の問題点を指摘します。
 女性行政については、推進計画の前半期、116事業のうち114事業を実施したと報告された、前半期の実施年度は再来年度までですから、すべての事業の完全実施と、その障害となっている問題を取り除くため、精力的に努力されるよう望みます。
 また、女性の自立が進む過程で新たに起こってくる問題、例えば離婚の増加、就労の問題、ひいては保育所のあり方など、これらについての前倒しでの対応を望みます。女性会館については、この問題で十分なのかどうか、大いに議論があるところです。議会と区民、女性団体との十分な協議のもとに、慎重に進めることを要望します。
 民生費について。高齢者の通所施設、住宅、特養の建設など、箱づくりは進んでいるものの、一体中心的な問題である人、体制をどうするのかが全く見えません。ホームヘルパーの増員、在宅支援の拠点づくりにどう人を配置し、仕事をするのか。公社をつくり、区民の中に在宅支援のすそ野を広げることには反対しませんが、公的責任は、量も含めて明確にすべきであります。ここを逃げていては問題は解決しません。
 福祉の中身、人の問題や、行政の系列を越えた連携、民間との協力のあり方など、既に職員の中に相当の経験の蓄積と知恵があるはずです。なぜこれを正しく評価し、ここに頼って政策づくりをしようとしないのか。そして、定数削減の縛りを受けた福祉ではもう限界だという点をはっきりさせない限り、私は、いくら施設をつくっても予算に賛成することはできません。
 また、保育所の問題についても、福祉部長は本定例会での一般質問に対し、「公立保育園での産休明け保育は検討すべき課題」と答弁しましたが、どのように体制整備を進めるつもりなのか。これまで、共働きの親たちの中からずっと要求のあった公立での産休明けの実施を区側はずっと渋ってきたし、再三の私たちの質問に対しても、考えていないと明言を避けてきました。確か昨年の11月までできないと言っていたと思うのですが、私の記憶違いでしょうか。切実な要求が実現するのは大変結構なことですが、経過、検討の方向性については、ぜひとも明確にしていただきたいと要望します。
 さらに、今回、私は、児童扶養手当の支給の実態、所得の限度額について予特で質疑を行いました。他の項目では、他の委員から限度額を廃止してはどうかという質問がありましたが、限度額のあり方の問題は、区民にとって切実な問題であります。一方で、乳幼児医療の無料化という珍しく区独自で行っている事業は、所得の限度額は設定されておらず、青天井なのはどういうわけなのか。非常に政治的な経過があったのでありましょう。
 児童扶養手当の所得限度額が余りに低すぎるというのは、区当局も感じておられるのではないでしょうか。受給者の実態把握に努め、限度額の引き上げと、制度の実態に見合った改正に向け、国に要望していただくよう望みます。
 土木費について。日暮里・舎人線の事業は、本当にこのままでよいのかという問題です。
 放射11号線沿線の居住者、近隣商店街は、現在の計画に対し深刻な危機感を持っています。私は、ある住民から、この計画でよいという議員は、実際に道路の沿線に住んでみよ、どうしてそんな無責任なことが言えるのかと怒りをあらわにして言われました。予算委員会での委員の質問に対し、デメリットを答弁しないとはどういうことなのか。まことに区の姿勢は、こうした区民に対して無責任極まりないと思います。
 私は、これまで舎人線促進協議会や建設委員会、特別委員会などの真剣な議論とご努力に対し何ら異論を唱えるものではありません。委員会記録にも目を通してまいりました。新線の建設について、熊野前から西日暮里交差点付近までの具体的な実態が明らかにならないままここまで進み、そうした中で道路両側の住民に多大な犠牲を及ぼし、まちを分断しかねない建設手法に反対の声が上がった以上、現実を直視し、変更についての議論を行うことは当然のことではないでしょうか。むしろ情報を制限し、実態を明らかにすることを避けてきた区当局の態度こそ責められるべきであります。
 こうした態度を続けるのならば、いずれ、藤枝区政は区民の厳しい審判を受けることは避けられないことを指摘いたします。議会は、現状を直視し、区民の声を反映する機関として、真摯な態度で臨みたいものだと思います。
 最後に、教育について。決算に引き続き、教育委員会のあり方について申し上げます。11月1日の朝日新聞によれば、教育委員の準公選を進めるための全国連絡会という市民団体が調査をしています。1年間を通じて、傍聴者がゼロの教育委員会が3分の1以上、傍聴しても発言を認めないのが9割、全国の教育委員会のこんな姿が明らかになっています。臨教審答申で教育委員会の活性化が取り上げられてから6年がたちますが、住民の声は教育行政になかなか届いていないようだとこの朝日新聞は述べています。
 調査結果によりますと、月1日以下しか開いていない委員会が85パーセント、1回の会議時間が10分や15分のところもあったと言われています。我々の教育委員会も全く例外ではないと思います。業者テスト廃止についての議論もない教育委員会、一体何でしょうか。
 私は教育委員の準公選は人ごとではない問題だと思います。本当に地域に根ざす特色ある学校づくり、自分たちの地域の価値を発見し、とらえ直す試みとして重要な問題、そして、これは地域活性化の問題そのものでもあります。問題意識のある人々による活発な議論ができる教育委員会につくり変えをすることが今本当に望まれている、そんな状態の時期ではないでしょうか。
 以上、大変長い討論をいたしましたが、大きく2つの点、そして具体的な幾つかの問題について述べまして、来年度の予算に反対をいたします。