斉藤ゆうこのあらかわ日和

斉藤ゆうこ

 あらかわ元気クラブの斉藤ゆうこです。4年間の任期を締めくくる一般質問をいたします。
 1987年、荒川区が初めて区政の方向を示す「荒川区基本構想」をつくってから、すでに12年がたちました。この間、経済や政治は大きく変わり、地域も様変わりしました。私たち元気クラブはかねてから、21世紀に区民が希望をもてる新たな基本構想を急いでつくるべきだと主張し、荒川区は昨年から基本構想の策定にとりかかりました。昨日の藤枝区長の施政方針にも、現在区が区を挙げて取り組んでいる2つの大きな課題」の第1に上げられ、その重要性についての認識は一致したと思います。
 そこで私たちは、未来の荒川区をどうするのか、その全体像を会派として明らかにし、議論の素材としていくために、元気クラブの基本構想「21世紀に<小さくても元気な町・あらかわ>をめざして」を提案することに致しました。
 これまでの区政に対する総括の部分と政策提案の部分とのふたつにわけて、今日の本会議で一般質問をおこない、今後、行政の各分野や基本構想審議会の皆さん、また広く区民の皆さんとわたしたちの町・荒川区の未来について大いに意見をたたかわせていきたいと考えております。

 はじめに私から、荒川区とはどういう町なのか、地域特性と現状についての認識、そしてこの10年の間、区政執行にたずさわり、努力をされてきた藤枝区政を振り返ってその評価を改めて問いたいと思います。積極的に質問にお答えいただき、今後の方向を示していただくことを望んでおります。
 まず、わたしたちが暮らす荒川区とは、どういう町なのか。町・ひと・産業の移り変わりと地域の特性について認識をうかがいます。
 明治時代から、荒川区には隅田川沿いに発達した大工場群がありました。千住製絨所、カネボウ、千住製紙、旭電化など、豊富な水資源を生かした繊維、紙、化学、皮革、油脂などの工場が立ち並び、20万人の労働人口を抱える生産の町でした。戦後も栄えたこれらの産業は1970年代になると経済環境の変化で続々と関東近県に移転し、ここで働く労働者も荒川区を離れ、郊外に移り住んでいきました。1960年代に30万人を超えた人口はその後減少しつづけ、高齢化もここ数年早いスピードですすんできました。現在、高齢化指数は台東区、文京区に次いで23区で3番目となっています。
 荒川区は、大工場の移転後も依然として製造業の町を特徴としてきました。金属、印刷、皮革など生活関連の小さな製造業の町・荒川区は、墨田区と並んで東京東部地域の一大工業集積地となっていますが、その規模が小さいこともまた特徴です。4人以下の工場が88%という数字がそれを物語っています。優れた技術を持ちながら、下請け・孫請けの部品工場という難しさを抱えてきたのが荒川区の産業です。
 一方、都心に近接して交通の便が良い町、地域商店街が残る暮らしやすい町という利点もあります。決してお金持ちではないけれど、まじめに働き、我が国の経済を支えてきた中小零細企業や、そこで働く人々の町、というのが私たちの町の姿ではないか、と考えますが、区の認識をおうかがいしたいと思います。

 さらに、こうした私たちの町に押し寄せる生活・営業危機の現状について区はどのような認識をもたれているのか、うかがいたいと思います。
 荒川区でも昨年の1年間で前年を上回る大変な倒産件数がでました。事業がこれ以上継続できなくなって廃業する自営業の方も増加しています。「去年は仕事がなくて3ヶ月も遊んでいる状態だった」という話も聞きました。倒産や人員整理で仕事を失う人も増えています。
 北千住職安でアンケートにこたえた人たちの声を拾ってみました。この中には荒川区民もいます。
「わたしは59歳で22年5ヵ月、自動車整備業の会社で働いてきました。会社の業績不振のため、8月に解雇されました。22年5ヵ月という長い年月働いて税金を納めたにもかかわらず、退職金らしきものも得られず、年金にもまだ手が届きません。採用してくれる事業所は全く見つかりません。それに対し、公務員の人たちだけは全く不況に関係なく、怒りで一杯です。この先が心配でなりません。」(50歳代・解雇)
「公団に住んでいました。建てかえのため今は高家賃になり、夫を亡くしたので、家賃を支払うのが大変です。60歳を過ぎてからは、今はなかなか働く職場がありません。遺族年金をもらっても、家賃より少ない額です。最低の最低の生活です。一人なので何とか生活していますが、こういう人もいることを政治家はわかっているでしょうか。」(女性・60歳以上・雇用契約切れ)
 荒川区民ではありませんが、こういう声もあります。
「公共事業に熱を入れるのもよいが、大田区は、中小企業の製造業で成り立っているのだ。」(男性・40代・解雇)
 これは大森職安でアンケートをとったときに、アンケートに答えていただいた方の声です。
 このように、生活・営業危機は荒川区民の中にも広がっています。石油危機、円高不況、バブル崩壊、現在の長期不況と、日本経済の荒波の中で大きく影響を受けざるをえない荒川区。この町の良さを生かしながら、地域経済を再生させていくことが欠かせない課題ですが、中小零細企業とそこで働く人々にとって、かつてなく厳しい状況となった今、区としてどう対応されるのかお伺いします。

つぎに、新たな基本構想の策定にあたり、藤枝区政の10年を振り返り、改めて評価を問いたいと思います。
 私たちは今回<元気クラブの基本構想>を提案するにあたって、様々な角度からの指標を調査し、藤枝区政を検証してみました。町田区政当時の経過からも若干振り返ってみたいと思います。
 西日暮里駅前のコロナ跡地をめぐる汚職事件が引き金になり、区政を二分する区長選挙の結果、5000票の僅差で自民党公認の町田健彦氏が区長に当選したのは、1979年。ちょうど今から20年前でした。1987年、中曽根内閣は第4次全国総合開発計画を決定、規制緩和によって東京都心部のオフィスビル需要を呼び起こす政策は、これらの不動産の所有者である大企業を潤わせ、また余った資産の投機先となったこれらの企業の株価を吊り上げました。こうして地価高騰とバブル経済が作り出され、1985年から1989年までの間に、地価は1.7倍、株価は3.2倍にハネ上がりました。
 町田区長はこの流れに呼応し、<8つ目の副都心>をめざす<川の手新都心構想>を発表、南千住周辺地域を中心に大企業のオフィスビルを呼び込む政策を、荒川区活性化の決め手として大々的に宣伝しました。外部の大きな力に依存して荒川区活性化の構想を描いたわけです。結局、副都心としての価値は評価されず、構想は主観的願望に終わったのですが、首長としての権限を最大限利用して、新興不動産業者、住宅販売会社などを積極的に呼び込む政策で町田区長はこれらの企業と緊密に結び付き、国政選挙への足掛かりにしようとしたのではないかと思われます。
 今日、不良債権となったビルや土地を区内に残したコリンズビル株式会社の進出、大きな社会問題となったリクルートコスモス株式会社のマンション建設と補助金問題、大手ゼネコンによる工事受注の増加などは、この時期に町田区長がめざした開発型区政の特徴でした。町田区長は1989年8月、衆議院選出馬のため区長を辞任、9月の区長選挙で町田区政の継承を掲げた当時の藤枝助役が、自民・公明両党の推薦で当選しました。
 まだ我々の記憶に新しい町田区政の10年。そして藤枝区政もまた今年でちょうど10年目の節目を迎えます。町田区政から藤枝区政へ。この10年を振り返り、何が変わり、何が変わっていないのか。この間の荒川区政の評価を問いたいと思います。
 藤枝区政の1期目は、町屋駅周辺や南千住拠点開発など、町田区政当時の大規模開発プロジェクトの具体化に加え、ほかの区に比べて立ち遅れた高齢者福祉、住宅、区内産業支援にも取り組まざるをえない状況でした。地価高騰による定住不安や、変化する産業基盤への対応、急激にすすんだ高齢化に、23区のどの区もが対応を迫られた時期です。
 特に1991年のバブル崩壊以降、年々悪化する長期不況は区内の中小商工業に深刻な打撃を与え続けていますが、地域としての有効な対抗策を打ち出せないまま、今日に至っております。そして一昨年からの金融・証券破綻はこれに追い打ちをかけ、生活・営業危機が下町・荒川区に押し寄せるまでになりました。このように、バブルの絶頂期に踊った町田区政と比べて、藤枝区政を取り巻く経済環境は大きく変わったといえます。
 財政環境も大きく変わりました。バブル経済を反映して、都税である固定資産税と法人住民税は1993年まで増え続けました。23区はバブルによって膨大にふくらんだ税収を都区財政調整交付金としてもらい、潤った都財政の分け前に預かりました。区税収入も増え、どの区も軒並み、豪華区庁舎や保養所、大型施設建設などに豊富な財源を使ってきました。お隣の文京区や墨田区の区庁舎はその典型です。ところが、バブル崩壊で都税収入は極端に落ち込み、この財政調整交付金は減少の一途をたどったのです。当然、財政調整交付金に依存した荒川区は大きな打撃を受けました。
 こうして経済環境と財政環境が大きく変わった一方、大きく変わっていないのは藤枝区政のお金の使い方です。荒川区財政の特徴を示すグラフで示したいと思います。財政力指数が小さく、自主財源が少なく都区財調交付金に依存している、という特徴はもう皆さんもご存じのとおりです。ここに荒川区の普通建設事業費の推移と、公債費比率の推移を示すグラフがあります。
 区税収入と財政調整交付金の落ち込みがはっきりと現れた1994年になっても、相変わらず普通建設事業費は高い水準です。都市計画道路、公園、荒川遊園地下駐車場、統廃合による学校建設、特別養護老人ホームや高齢者通所サービスセンター、各種の施設建設と、不況の真っ只中の1994年にも、10年前の3.4倍という多額の区財政が費やされています。大型箱モノ建設の大盤振る舞いはバブル崩壊後も、いっこうに変わっていなかったのです。
 この背景には国が地方に対し、借金(起債)をしてでも公共事業を拡大せよ、と指導してきた経過があります。1989年の日米構造協議で、アメリカは10年間で640兆円という公共投資拡大を要求し、この消化が地方に押し付けられました。その最終年度はちょうど今年にあたります。それだけではありません。その後も1991年から景気対策の名目で、自治省の強力な指導による地方版公共投資が促進されてきました。私は、自治省の文書も読みました。積極的に起債をして、景気対策に協力することを地方自治体にうながしております。荒川区は財政事情の悪化にもかかわらず、これに応えて公共事業への財政投入を続けてきたという訳です。現に荒川区の借金である公債費も増え続け、減税による減収の補填債などもあいまって、1991年からの4年間に区債、つまり借金の残高は173億から363億へと2倍に達しております。
 こちらのグラフもご覧いただきたいと思います。土木費の東部3区の比較であります。オレンジの線が荒川区、どこを見ましても91年の指導でぐっとはね上がり、94年のゼネコン批判でちょっと下がり、そして95年にはまたデフレスパイラルを懸念して公共投資拡大がされて上がりますが、2004年の債務の返還期限を控えて、もう限界といったところでしょうか、下がっております。
 こうした財政運営はいったい誰を潤してきたのでしょうか。公園や施設をつくる社会資本の整備で区民や高齢者、障害者が便利になったとしても、もう一方でこれらの建設工事の受注者もまた、大きな利益をえていることはまちがいありません。公共事業とは常にこうした側面をもっているわけです。多額の建設費用を必要とする高齢者福祉施設、学校統廃合の結果の新校舎建設は、区民の要求なのですが、いったい誰が工事を請け負い、誰が管理・運営委託を受けて補助金をもらい、その結果どういう施設ができて、区民に納得のいくサービスが提供されているのか。この視点から見直さない限り、単なる箱モノ行政のそしりはまぬがれません。
 これまでにも、リクルートへの補助金、コリンズビルとの癒着の問題、100億円の裏磐梯保養所計画など、私たちも少なからず追及し、廃止になった事業もあります。しかし、その後も、莫大な維持・管理費の豪華施設でありながらサービスは極めて評判の悪い第2特別養護老人ホーム、老人保健施設への丸抱えの多額な補助金計画、24時間ホームヘルプ事業の委託先など、箱モノも事業も、高齢者福祉の分野が多くなっていることから、ここへの区内、区外法人や企業の参入をめぐって、適切に財政が使われているのかが問われてきます。要は、区民に仕事と収入が増え、真に区民サービスが向上する、そういう施設建設や事業であるのか、を基準にした見直しが必要だということです。
 また、この10年の普通建設費にかかわる主な事業について、財政課と経理課にご協力をいただいて、事業の額と契約の相手先を確認していただき、一覧表にしてみました。主観的なことではなく、事実にもとづいて洗い直してみた訳です。これを見ますと1990年代の前半には大手ゼネコンが区内狭しと建設工事をしていましたが、さすがに区内事業者優先の建前から、工事の発注先にも少し変化がでて、地元建設事業者とのJVもでてきました。つまり、バランスをとったという訳です。バランスの藤枝区長といわれる区長の面目躍如、といったところでしょうか。
 国の指導にしたがって箱モノ建設をすすめてきた結果が財政悪化に拍車をかけ、借金を増やすことになったのはまちがいありません。私たちは他府県の自治体についても調べてみましたが、全国どの自治体をみても普通建設事業費と公債費は全く同じカーブを描いております。荒川区がいかに他区と比べればつつましかったと主張しても、ご多分にもれず、という世界があったのは事実ではないでしょうか。
 国の指導が全国の自治体に同一の影響をおよぼして財政悪化を招いていること、減税補填債などが大きな負担になっていることなど、当然国との矛盾もあるでしょう。また、区長や財政当局としては「そんなことを言うけど、荒川区は庁舎もつくらなかったし、保養所も作らなかった」「作ったのは区民福祉施設だ。臨海部とはちがう。部分的には問題のある施設もあったけれども、開発型行政ではない。」とおっしゃりたいのではないかと思います。
 本当にそうでしょうか。将来の区財政におよぼす影響や、区民に厳しい負担を求める行革にハネ返ってくることを考えれば、区としての責任はまぬがれないと思います。反省なくして将来にわたり区民に厳しい負担を求めることはできないと思いますが、いかがお考えか、お尋ねいたします。
 町田区政と藤枝区政の比較や評価についてもお話ししてきました。藤枝区長が掲げた区内中小商工業を大切にする姿勢は果たして結実したのでしょうか。区長のこの方針はどのように実現したのでしょうか。残念ながら私たちは、町田時代の大企業など外部からの大きな力に依存した開発型区政から、区内の中小事業者や働く人たちの力を生かした、本当に大多数の区民のための区政へ、決定的な転換はまだ行われていない、と結論づけざるをえません。
 藤枝区政2期目の1993年から、区内の中小事業者の団体である商工会議所や商店街連合会の皆さんが、藤枝区長の支持基盤のひとつになってきました。町田区政時代の大企業中心の区政から脱皮するという意味では積極的な意義があったのですが、お金の使い方の面では先程のように大きく変わっていないのが事実です。ようするに、藤枝区政は町田区政の極端な大企業依存にバランスを加え、中小商工業者にも地元建設業者にも配慮することで基盤の安定をはかってきたといえるのではないでしょうか。この不況の中で、都市型公共事業や新社会資本整備が言われ、道路、地下鉄、新交通に加えてコンピューターなどの情報産業や環境・緑化産業、そしてマンション建設などを目玉にした大企業は、既に国だけでなく、地方自治体の事業にも参入しようとしています。地方自治体の予算がねらわれているわけです。そういう企業の代理人を買って出る人も、これからまた出てくると思われます。
 大型店対地域の商店街、大手ゼネコン対地元の中小建設業者。共存共栄、持ちつ持たれつということならばそれも結構ですが、ひとり勝ちはよくありません。決してお金持ちではないけれど、心は豊かな荒川区民が、ふところも豊かになるためには、更に大胆な区政の転換が必要だということをはっきり述べておきたいと思います。

 質問の最後に、この間続発する開発にかかわる地域紛争について、これを招いた区の責任と今後の対応についてお伺いします。ここでは、当面の問題として、荒川1丁目、明治通り沿いに31階の建設計画が発表されているダイア建設のマンション建設計画についてお尋ねしたいと思います。
 1月4日付の産経新聞に、こうした記事が載っていたことは、もう皆さんも既に御承知のことと思います。「融資先のマンション高値購入。日債銀240億円含み損、不良債権化を恐れ救済。ペーパー3社を使い。」となっております。ここで報道された問題は、日債銀、今、一時国有化で大変問題になり注目を浴びております日債銀と、当の31階マンションの事業者であるダイア建設との癒着ぶりが報道されております。
 さらに、その先に私はこういう記事を見つけました。1月31日付の茨城新聞です。たぶん茨城県にもダイア建設がたくさん進出している。そういうことから注目をされているんだと思いますが、茨城新聞の1面にこのような記事が載っておりました。同じ内容です。「日債銀のペーパー3社、3割高でマンションを購入。ダイア分譲売れ残り・1013戸」含み損の問題も出ておりますが、ここに「特別背任を視野に捜査」というふうに記事が書かれております。「ダイア建設向け融資の不良債権化が明らかになり、多額の引当金を計上する必要に迫られるのを避けるためこのような措置をとったのではないかと見られている。警視庁など警察当局は、商法の特別背任などの疑いを視野に捜査を進めている。」と報道されております。このような現状について、ただいま紹介した新聞報道は、区当局の皆さんも当然御存じだと思います。
 荒川区では、資料によりますと、昭和54年のダイアパレス鶯谷、荒川区東日暮里5丁目に建設された77戸のマンション建設を初めとして、10近くのマンション建設と、そして計画がダイアパレスによって行われています。つまり、荒川区内には大変ダイア建設が進出しているというわけです。こうして新聞にも報道されましたダイア建設の道義的、社会的責任は大であると私は考えますが、これに対する区の認識をまずお伺いしたいと思います。
 そして、次に、これまでにもリクルートコスモスやコリンズなどの例がありました。リクルートコスモスについては、補助金のカットを私も追求し、そして、リクルート分についての補助金をカットしたという経緯があります。このときもリクルート問題が大きく社会的に問題になったときでした。そして、コリンズビルについては、長く床を借りて中小企業プラザを設置しておりましたが、脱税で問題になり、そして供託をするようになり、ついにはコリンズビルから退去したという経過がございます。
 自治体として、こうしたダイア建設のような現在社会的、道義的に問題になっている企業と今後もつき合っていくのかということが問われると思います。荒川区として、今後どういう対応をしていくおつもりかお伺いいたします。
 以上で、私の一般質問第1回目を終わります。

区長(藤枝和博)

 財政運営についての評価、認識に関する御質問にお答えいたします。
 私が区長になってからの10年間の数字を見ますと、確かに中間の数年、普通建設事業費が増大したことがあります。これは急激な少子・高齢化の進行等による必要な行政需要の増加に的確に対応した結果でございます。具体的に申しますと、特別養護老人ホーム、在宅高齢者通所サービスセンター、高齢者住宅などの整備を行ってまいりました。一時期の建設費の増大が、あたかも今日の財政危機の元凶であるかのように言われておられますけれども、当時は基金や財調の財源にも余裕がありました。また、国や東京都の補助金も手厚く措置されました。さらに、区債の大半が財調措置されたものでございます。
 振り返って見ましても、区民にとって必要な施設を整備するために期を逸することなくこうした補助金や起債を有効に活用できたことは、むしろ賢明な選択であったと認識いたしておるところでございます。
 なお、御指摘にありましたような、最近の起債残高急増の要因は、減税補填債などが主たるものでありまして、その残高は10年度末で81億円にも上っております。
 一方、公債比率につきましては、確かに上昇傾向にありますが、起債制限を受ける20%はもとより、公債費負担適正化計画の対象となる15%にも達しないと考えております。また、当区の現在の率は、全国的水準と比較しましても、低いものとなっております。
 次に、普通建設事業に伴う受益についての御質問ですが、建設事業に限らず、区政は常に区民の利益を最優先すべきものと考えております。とりわけ施設建設に当たりましては、利用者としての区民へのサービス向上を基本に据えることはもとより、建設工事の発注に際しましても、ジョイントベンチャーへの参加資格要件の緩和など区内事業を優先することにより、区民に利益が還元されるよう極力努めているところでございます。こうした考え方は、今後も変わることはございません。
 いずれにいたしましても、地域に根差す区民主体の自治を原点にこれからの行財政運営を進めてまいる所存でございますので、御理解、御支援のほどをよろしく申し上げます。

地域振興部長(高野政義)

 区内の産業の現状認識に関する御質問にお答えをいたします。
 荒川区は、大規模な工場を核として関連した中小の工場が立地をすることにより町並みが形成されたという歴史的な経緯もありまして、大工場が転出をした現在におきましても、中小の事業所が多数集積した地域となっております。
 規模こそは小さくとも、各企業がそれぞれにすぐれた技術と技能を生かし、さまざまな製品を生み出すことにより都内有数の産業の拠点として発展をしてきたところでございます。しかし、近年の長引く景気の低迷、さらに経済のグローバル化の進行などにより、金融システムを初め従来の我が国の経済全体の枠組みが大きく揺らいでおり、国内の企業はその規模のいかんを問わず変革を迫られております。

地域振興部長(高野政義)

 こうした変化の波は、本区内の中小企業にも例外なく押し寄せ、かつて経験したこともないほどに厳しい状況にあると認識をしております。区は、不況の克服と区内産業の活性化を区政の最重要課題の一つとして位置づけ、これまでも2度にわたる緊急経済対策を初めとしたさまざまな不況対策を行いますとともに、区内産業の活力と競争力の維持、向上を目指し、事業者みずからが創意と工夫を凝らしながらその持てる力を十二分に発揮するよう、各種の支援策を積極的に実施をしてきたところでございます。今後もこうした取り組みをさらに推進をしてまいります。
 さらに、21世紀を展望した産業振興策につきましては、新たに策定する基本構想を踏まえた上のこととなりますが、今後の新しい成長産業分野を視野に入れつつ、これまで蓄積した技術やノウハウを活用し、競争力のある自立型の企業育成を通して地域産業の活性化に資する施策の展開を図っていく所存でございますので、御理解を賜りますようお願いを申し上げます。
 続いて、中小企業に対する区の姿勢に関する御質問にお答えをいたします。
 区は、ただいまも申し上げましたように、区内産業の活性化を区の最重要施策の一つと位置づけ、区内に多数集積する中小企業に対してさまざまな支援策を展開してきたところでございます。
 まず、製造業につきましては、荒川区の長い歴史の中で培われたすぐれた技術と磨き抜かれた技能を生かし、急速に変化する社会・経済情勢にも十分に対応できるよう新たな技術や製品の開発、特許の取得や販路拡張、受発注のあっせん、後継者の育成などきめ細かい施策を実施をしてきたところでございます。
 また、商業につきましても、区内各地区で四季折々に行われる商店街のイベントや各分野の専門家による相談やセミナー等の開催などに対しまして支援をしてきたところでございます。
 区といたしましては、大変厳しい経済情勢にございますが、区内産業の一層の活性化を目指し、今後とも全力で取り組んでまいる所存でございますので、御理解と御支援を賜りますようお願いを申し上げます。

建設環境部長(田中公夫)

 私からは開発にかかわる地域紛争に関する御質問にお答えいたします。
 御質問の日本債券信用銀行とダイア建設株式会社のかかわりにつきましては、マスコミを通してさまざまな形で情報が流れておりますが、その具体的内容について確たる事実関係はつまびらかにはなっていないものと認識しております。 区といたしましては、職住近接の都心居住の実現が住宅政策の大きな課題になっていることなどを踏まえますると、区内で民間事業者によるファミリー世帯への住宅供給が進むことにつきましては、一定の評価をしているところでございます。そして、今回のダイア建設株式会社の31階マンション開発は、東京都も建築確認をおろしている事実を見ると、建築基準法等をクリアした開発であると認識できるところでございます。
 また、このマンション計画は、明治通り沿いのビルがおおむね14、5階で形成されている中で、それらを大幅に上回る超高層建築物の建設ということから、地元の方々が大きな不安感を抱いていることは、区としても承知をしております。そのような観点から、今後とも地元住民の皆さんとダイア建設株式会社との話し合いの場が確保できるよう、東京都とも連携をしながら対処していく所存でございます。