『会計処理されていない150万円と他人名義の接待費』
-斉藤ゆうこの公判レポート(その2)
[2月10日、藤澤志光氏収賄事件第2回公判の取材メモより]
証人として石崎克博・新光ビルシステム前社長が出廷し、検察が証人尋問を行いました。
以下、(検)は検事、(石)は石崎氏。
(検)この事件で会社はどのような状況になったか?
(石)178件の指名停止を受け、売上80億円減少した。
(検)贈賄の日時と場所は?
(石)1回目は平成13(2001)年10月1日で「重箱」。飲食の接待はほかにない。2回目は平成14(2002)年5月24日で区長応接室。この日は新光ビル40周年式典の日だった。
(検)平成13(2001)年の区長選挙では誰を応援したのか?
(石)元助役の荒井靖夫氏を応援した。新光ビルの社員1名を派遣し、荒川区在住の社員名簿を渡した。現金も500万円出した。
(検)藤澤氏に対してはどうだったか?
(石)30万円出した。当時顧問だった牧野氏が『藤澤が強い』と言ったので依頼した。どちらが勝ってもいいように。
(検)藤澤氏が勝って、どう思ったか?
(石)仕事の面で仕打ちを受けると思った。本庁舎の契約が危なくなる、と思った。
(検)新光ビルの総勘定元帳に5月17日付で石崎名で30万円の出金が記載されている。相手先は自民党荒川支部。領収書がある。区長選挙以前の付き合いは?
(石)藤澤氏が都議の頃からで、平成12(2000)年まで後援会に入会していた。政治献金として年に12万円会費を払っていた。平成13(2001)年に経費見直しで、1年間、会費を止めた。
(検)面識はあったか?
(石)都庁で顔を見た程度だ。
(検)選挙が終わり、その後どうしたか?
(石)反対の候補を応援していたので、『マズイな、指名から外されるのでは』と思った。本庁舎の契約も難しくなる。専務の荒川氏にそう話したら、同じ考えだった。とりあえずご挨拶を、と思ったが、しばらく時間がかかった。とても会いに行ける心境ではなかった。
(検)区庁舎の管理は、会社にとってどういう意味があるのか?
(石)会長である荒川拓巳氏の歴史であり、会社の歴史そのもの。最初の公の庁舎管理であり、何としても外せない。他の区にも影響する。一度切れたら復活はムリ、と思った。他区の経験上、区長が決めたら戻せないと思った。
(検)その後のあなたの行動は?
(石)気まずい思いでで3ヵ月過ごし、7月16日に助役に就任した高橋氏と会った。高橋氏とは、平成11年頃から荒井氏の紹介で面識があった。6月の中旬から下旬頃に会ったとき、高橋氏から多分助役になる、と聞いていたので、これで関係が復活、区長とのラインをつなげられる、と思った。
教育長の部屋で会い、スポーツセンターの事、助役就任の事など話した。『スポーツセンターは一部床貸しになる』と言われたので気持ちが変わった。長年、随意契約でやっており、議会からも指名競争入札に、と言われていたようだが、議員も絡んでいそうなので敬遠していた。しかし、行政としてやる、と言われたので。契約は続くだろうから、会社の経営安定にプラスになると思った。
高橋氏は今までになく自信ありげに話したという印象だった。ここでは区長と取り持ってくれ、と言っていない。7月17日、助役就任翌日に会いに行った時、区長とセッティングして欲しい、つないで欲しい、と依頼した。高橋氏は『どうだろうなあ』と言い、区長に連絡したが来客中だった。
この時、お祝に接待ゴルフに誘い、商品券を10枚渡した。ゴルフはその週の日曜日、栃木県のカントリークラブで、荒川専務と社員Sで費用は会社が持った。その際、改めて『区長と』と依頼した。高橋氏は『少し時間下さい』と答えた。
しばらく連絡もなく、心証が悪いのか、と思った。高橋氏からも連絡がないので電話したら、『自分から電話したら』と言われた。なかなか取り次いでくれないので焦った。
藤澤区長と8月下旬に区長応接室で面会した。この時は助役室から行った。
『当選以来、挨拶が遅れて申し訳ありません。庁舎管理をやらせて頂いています』と言うと、『荒井を応援していたんだろう。私は何でも知ってるんだよ』と言われ、これはマズイと思った。高橋氏の所に寄り、これではマズイので『ぜひお食事のセットを』と頼んだが、『時間かけないとね』と言われた。
その後、高橋氏と茨城にゴルフに行った。この時は個々に支払ったが、また『少し待って』と言われた。『電話したら?』と言われたので直接電話したら、藤澤区長は部屋にいた。『ちょっと待って』と予定を調べ、機嫌悪そうではなく、食事の約束を受けてくれた。
(検)賄賂を渡すまでの経過は?
(石)サイオウの橋本正憲社長と赤坂のクラブで飲んでいた時、東京支店長の一ノ関秀雄氏から、『新光さん、危ないよ』と言われた。藤澤氏と親しいので真実味があった。東宝クリーンサービスの刈野社長からは「すいせん」という行きつけの店があると聞いた。
(検)金を渡すことにためらいはなかったか?
(石)あった。いけないことだ、と思ったし、犯罪だとも思った。5階の社長室の金庫から現金を出した。16時40分に会社を出たので、その直前。100万円の束から50万円を抜いて2回数えた。椅子の裏に置いてある白い封筒に入れた。
金庫には300万位、常時入っている。10万や20万では失礼で、50万が適当、100万では多すぎ、と思った。
自分が荒川区の営業担当の時、藤澤氏が都議時代、100万円持って来い、と言われた経験があるので、多分受け取るだろう、と思った。
(検)そのときの状況はどんなだったか?
(石)本人は至って穏やかだった。『選挙の時は失礼しました。本庁舎、スポーツセンターをよろしく』と言うと、『その話は僕に言われても困る。高橋くんと話してよ』と言われた。
(検)渡した時の状況は?
(石)もう一軒、ということになり、出口の所で『これをお使い下さい』と言うと『ああ、どうも』と受け取り、背広のポケットに入れた。
(検)なぜ、専務のいない所で渡したのか?
(石)彼は営業なので、こういう場面を見せるのは良くない、と思った。
(検)誰にも相談しなかったのか?
(石)ひとりで決めた。
(検)贈賄に至る動機は?
(石)本庁舎とスポーツセンターの受注だ。そのことは相手に伝わったと思う。
藤澤氏は20時か21時頃帰った。タクシーチケットを渡した。「重箱」「すいせん」ともに新光が支払った。
高橋助役に『ご機嫌良くしていただいた』と報告した。現金を渡した、と言葉では言っていない。荒川専務にも賄賂を渡した、とは言っていないが『ちゃんとしてあるからな』と言ったので専務も理解したのではないか。
-休 憩-
(検)その後、指名競争入札で落札に至った訳だが、スポーツセンター契約は?
(石)平成11(1999)年頃から、荒井助役から契約しないか、と言われていたが、乗り気ではなかった。高橋助役からから話を聞いて前向きになり、ぜひ取りたい、と考えるようになった。
平成13(2001)年10月1日以降は、その年の暮れの挨拶で、12月中旬に区長応接室で藤澤区長と会った。『お世話になりました』と言うと『パーティ券を買って欲しい』と言われたので、荒川専務が会社の資金で購入した。
平成14(2002)年1月18日、高橋助役から呼ばれ、『新光ビルと新光スポーツ、どちらでやる?』と聞かれ、『新光ビルでお願いします』と答えた。トピーレックとの関係もあり、他の業者が持っていない遠隔監視システムが有利と考えた。その日のお昼を地下食堂で食べたあと、午後に区長室前の廊下で『スポーツセンターやらしていただきます』と藤澤区長に言い、『頑張ってね』と言われた。
4月から8千万円を切る金額で受注した。しかし、トラブルが4月中旬に発生、石川営業部長が石橋教育長から叱責された。指導員が子どもをイジメたと言う話。金銭出納も合わず、また強く叱責された。教育長から『来年の指名はしないぞ』と言われた。自分は中国に行っていたので、帰国して是正するよう命じたが、教育長はかなり乱暴だった、と報告を受けた。
高橋助役から電話があり、『赤字になってもいいからちゃんと仕事してくれ』。
ここまでお叱りを受けるとは思わなかった。5月24日に改善の見通しができたので、お詫びに行こう、と思った。
(検)なぜ、教育長でなく区長、と思ったのか?
(石)区の責任者だから。
5月23日午後、電話で面会のお願いをし、24日16時30分に区長室に行くことが決まった。
(検)なぜ、100万円を渡したのか?
(石)外される心配があり、倍にした。
当日11時から精養軒で会社の40周年式典だったので、朝、会社に行くときに金庫から現金を出した。9時30分頃出社、10時に会社を出た。100万円は帯封付きだった。高橋助役には10万円の商品券を用意した。
パーティ会場に15時迄いて、いったん会社に戻り、荒川区役所の助役室にで16時に行き、商品券を渡した。
(検)区長とのやりとりは?
(石)『区庁舎の件はありがとうございました。スポーツセンターではご迷惑おかけしました』と言うと、藤澤区長は『業者が変われば多少のことはある。青空対話集会でも話が出た』と言った。
机の上に金を置いて、『どうぞお使い下さい』と言うと、『どうも』。ためらうそぶりもなく、他に言葉もなかった。『パーティ券を付き合って下さい』と言われ、『はい』と答えた。
助役室に行き、『きちんとご挨拶申し上げてきました』と言い、『頑張って下さい』と言われた。
区長とは4回面会。パーティ券も付き合ったし、これでいいだろう、と思った。
(検)その後の電話でのやりとりは?
(石)平成16(2004)年6月上旬、これまでそんなことはなかったのに、区長から直接電話があった。『藤澤です。助役が逮捕されて大変だ。あなたも逮捕されるかもしれないよ』。『区長も大変ですね』と言うと『僕は大丈夫だよ』と答えた。余計なことをしゃべるなよ、というメッセージだと思った。
平成16(2004)年9月上旬、また電話があったが、不在だったので翌日電話した。『高橋の件では色々私も言われている。そういう事を払拭するためにもパーティをやりたい』と言われた。『一度お会いしたい』と言うと『割り勘でいいよ』と答えた。
(検)賄賂の会計処理はどうなっているか?
(石)していない。パーティ券と選挙の際の献金は処理している。100万円は『今後ともよろしく』と言って渡した。
(検)「すいせん」の領収書はどうなっているか?
(石)4万円は下見に行った時の分。11万円は、ワインなども飲んだのでこのような額になった。
(検)「NTT市川部長」の接待名義になっているが?
(石)区長の名前など出せない、と思った。
[私の印象と感想]
藤澤前区長の第2回公判は、すべて検察側による石崎氏への証人尋問でした。私は傍聴できなかったので、取材に基づいてレポートを書きました。
石崎氏の証言は、区長選挙の前後の状況、高橋前助役とのやりとり、スポーツセンターでのトラブル、そして最後に150万円の会計処理と接待の領収書の話、という流れになっています。
私の印象、感想は以下の3点です。
1.突然出て来た、区長選挙での荒井元助役への500万円。どういう意味があるのか?
平成13(2001)年の区長選挙に関連して現金500万円を出した、と石崎氏は暴露していますが、このお金はいったいどう処理されたのか?
平成7(1995)年の政治資金規正法改正で、「企業・団体が政治家・候補者個人に対して行う献金」は禁止されていますから、新光ビルが企業として荒井氏個人に寄付することはできません。仮に石崎氏個人の名義での寄付としても、22条の「年間の個別規制」の限度額150万円をこえています。
こうした寄付の唯一の例外は、政党(支部を含む)と政党が定める政治資金団体です。それではどこかの政党を迂回して500万円が動いたのでしょうか。
いずれにしろ、この500万円に合法的な根拠を見いだすことは難しいのではないでしょうか。
2.改めて感じる、新光ビルと歴代助役との根深い癒着。
石崎氏の証言からは、現金500万円に加え、選挙担当者と在住者名簿を提供して、荒井氏を勝たせようとした新光ビルの姿が見えてきます。
当時、荒井氏が区長選の候補者になったら、かつて総務部長室-収入役室-助役室と荒井氏の行く先に列をなした企業・業者が、所を変えて選挙事務所に列をなしている、などと噂されたものでした。私たち元気クラブは、公開質問状を持って4人の区長候補者の事務所を訪問しましたが、荒井事務所では多くの区役所の退職職員と出入り業者を見かけました。
代わって就任した高橋前助役に望みを託し、石崎氏は接待ゴルフをしたり、商品券10万円を渡したり…。それに応えて、高橋前助役は入札の予定価格を教えたり、政策変更のアドバイスをしたり…。
深い癒着関係にあった新光ビルと歴代助役。この人々にとって、藤澤区長とは、不利益をもたらす恐怖の対象だったのでしょうか。
3.都議時代の習性なのか。区長として自覚の足りない藤澤氏の行動。
東京都は一国に匹敵する巨大な予算を持ち、都議会与党はこれに強い影響力を持っていると考えられています。したがって、企業は大小を問わず、都議会与党への連携を求めるのが常のようです。特に、第一党である自民党都議には「保険をかける」つもりで政治献金を欠かさず、法改正後も政治資金パーティなどへの協力をしてきました。
首長は政党の政治家であっても、地方自治体が行う契約の相手方企業とは一線を画さなければなりません。藤澤氏は長い自民党都議時代の習性が抜け切れず、自治体の長としては自覚が足りなかったのではないか。藤澤氏は、政治資金パーティは合法だ、と常に答弁していましたが、考えが甘かったのではないでしょうか。
次回公判は3月3日で藤澤氏の弁護人が石崎氏に尋問を行います。どのような展開になるのでしょうか。(つづく)