斉藤ゆうこのあらかわ日和

『藤澤前区長と弁護人が「収賄はなかった」と無罪を主張』(パート2)
-斉藤ゆうこの公判レポート(その4)
[8月23日、藤澤志光氏収賄事件第10回公判の傍聴メモより(2)]

Q.は野崎弁護人、A.は藤沢氏です。

●区長選立候補のきっかけと選挙の様子。
Q.区長選立候補のきっかけは当時の藤枝区長からの依頼だった?
A.著書(「荒川区 全国一への挑戦」)にも書いてある通りで、平成12(2000)年の12月に話があった。
Q.当時は幹部職員が連日クラブなどにたむろし、士気が低下していたと?
A.小室、荒井などを中心に、毎晩、業者や一部の区議が区内のクラブやスナックを飲み歩いていることは承知していた。
Q.区政を建て直そうとしたということか?
A.職員の士気高揚。誇りをもってスピード、成果を重視し、区民の目線で仕事をするようになってほしいと思った。
Q.区長選の勝敗についてどのように見ていたか?
A.世論調査では「圧倒的に勝つ」と言われていた。区民に受け止めていただけるような運動をすれば勝てるだろう、と思っていた。というのは、都議選で落選した時の選挙は、徹底した組織選挙で、自分を応援してくれる各種団体の代表を通じてやった選挙だったが、結果は落選した。そのことを反省し、区長選挙では個々の、ひとりひとりの有権者に働きかけて伝われば勝てる、と考え、予想通り大差で勝つことができた。今で言うマニフェスト、「七つの安心社会」を公約に掲げた。
Q.新光が荒井氏を応援していたことや、新光と荒井氏との付き合いについて知っていたのか?
A.選挙期間中は知らなかった。付き合いについても知らないし、特に気にしてもいなかった。それは先程言った通り、いわゆる組織選挙ではなかったからだ。

●政治活動と政治団体や政治資金について。
(区長に就任してからの仕事ぶりや手応えなどについての質問のあと)
Q.区長になってからの政治活動は?
A.都市政策研究会のフォーラム開催、国内旅行、海外旅行などだ。フォーラムは毎回2名の講師を呼び、講演会と懇親会を行った。講師は、加藤紘一・元自民党幹事長、久間・元防衛庁長官、銀河高原ビール社長、青山・元東京都副知事、都の局長など。機関紙「都市と政策」は都議時代から区長就任まで198号発行した。
Q.政治資金についてはどうだったか?
A.収入は、政治団体の会費、寄付、都市政策フォーラムの残金。支出は事務所経費、冠婚葬祭費、国内・海外旅行費用など。
Q.それで不足はなかったか?
A.全くない。出納を担当する事務員とSKが管理していた。区長になってから一回だけ目を通したが、すすんでチェックはしていない。
Q.あなたの関係する政治団体はどのような団体か?
A.
1.志政会。区議当時に設立し、行事は会費持ち寄りで活動していた。
2.新政経研。月ひと口1万円以上の会費で資金管理団体になっている。
3.都市政策研。政策提言を行うための団体で月ひと口5千円以上の会費、月1回新聞を発行していた。
Q.広告料があったか?
A.コマの大きさによるが、年2回で一回30万円が最高額。1号で6~70万円の広告料が集まり、5千部を発行していた。うち2千部は郵送で郵送料がかかる。残りは手配り。「暑中」と「新年」の号には顔写真と挨拶を掲載し、2~3万部を新聞折り込みした。
Q.支部長をつとめた政党は?
A.「自民党荒川区第2支部」は現在も支部長。党本部からの還付はなく、企業団体献金の受け皿。平成12(2000)年に設立したが、それは前年に政治資金規正法の改正があり、企業団体献金は「政党と政党支部のみ」が受けられることになったため。荒川区に限らず、自民党議員はこのような形を取っている。

-休 憩-

●新光からの政治献金について。
Q.新光と知り合ったのは?
A.都議になってから、石崎氏と知り合った。
Q.付き合いはどのようなものか?
A.長年にわたり、政治資金の振り込みがあった。都議当選の1年後くらいに「新政経研」の入会を促し、以来会費を振り込んでいただいていた。
Q.支払い方法は銀行振り込みか?
A.振り込みだった。
(ここで弁護人は、みずほ銀行尾久橋支店の口座に平成10(1998)年から平成16(2004)年まで、毎年5月末、区長選挙の年のみ6月末に年会費として新光から12万円が連続して振り込まれている事を年月日で示した。政治資金規正法改正後の平成12(2000)年からは自民党第2支部の口座に振り込まれている。)
Q.新光が後援会を脱退したと聞いたことがあるか?
A.聞いたことがない。
Q.新光の広告料支払いも同じ銀行の都市政策研の口座に平成10(1998)年から平成12(2000)年まで4回、各30万円ずつ振り込まれている。こうした振り込みは自身で認識していたか?
A.していた。
Q.平成14(2002)年の区長選挙の際の「陣中見舞」について。
A.牧野栄一氏が30万円を持参された。区長選挙のプレハブ事務所の開設式の終了後で夕暮れ時だった。
Q.牧野氏とは知り合いだったのか?
A.深谷氏の秘書で大臣秘書官もつとめていたので面識があった。新光の顧問だということは陣中見舞を持ってくるまで知らなかった。「深谷氏からだ」と思って受け取ったら「新光、石崎」と書いてあったので、「あれ、どうして?」とたずねたら「いま、新光の顧問だから」と。自分から尋ねたので良くおぼえている。「よろしく頼むね」というので「ああ、わかりましたよ」と答えた。
Q.このお金はどのように処理したか?
A.企業献金なので「第2支部」の領収書を切り、寄付として処理した。

●高橋助役逮捕後の石崎氏とのやりとりについて。
Q.平成16(2004)年6月高橋逮捕後の、あなたから石崎への電話について。調書ではあなたが「何という事をしてくれたんだと頭に来て、『お前いったい何をしたんだ』と電話した」となっているが?
A.元検事だったS教育委員が後輩の検事から「高橋は10万円を2回受領しただけでなく、タイ旅行にも招待されたという。これでは見逃すわけに行かないので、追起訴があるだろう」と聞いてきたと、石橋教育長から報告があった。高橋逮捕で議会でも集中審議が始まるところだったので、すぐに電話し「何を策していたんだ!」と問い詰めた。
Q.石崎氏はなんと答えた?
A.絶句して答えは返ってこない状態だった。自分としては、どういう事態か知っておかないと気がすまない、という気持ちだった。
Q.なぜ、この件をすぐに話さなかったのか?
A.担当の検察官からS氏を通じて自分に話がもれた、と言うことを検事に言って良いのかという躊躇があった。S氏は荒川区にとって大事な仕事をしてもらっている方なので、迷惑がかかり、後々困った事態になっては、と思った。
Q.石崎氏に「あなたも逮捕されるかもしれないよ」(注:石崎氏の証言)と言ったか?
A.言ったと思う。しかし、会話は成り立たず、相手は絶句していた。「私は大丈夫だ」云々などというやりとりはない。(注:石崎氏の証言では「『区長も大変ですね』と言ったら『私は大丈夫だよ』と言った。電話は『余計なことを話すなよ』という念押しだと思った」となっている。)
Q.もう一回はパーティ券依頼の電話か?
A.はい。

[私の印象と感想]
 8月23日の公判はかなりの長丁場でしたので、2回に分けて要点を掲載しました。
 弁護人が冒頭陳述で「立件の唯一の根拠である『贈賄』の自白は虚偽」とし、「贈収賄の物証はなく、原資も使途も証明できない」「贈賄の動機についての供述は事実と異なる」としたこと、また「指名業者選定の実質的な権限は助役にあり、実際に最大限それを活用し、見積り競争では金額を教えて受注を成功させた」として高橋前助役と新光ビルとの癒着が真相であるとした点は、石崎証言も含めてほとんどの公判を見てきた私からすると、納得のいく論旨だと思いました。
 さらに弁護人の質問に答えて、藤澤氏から2度の逮捕による44日間の苛酷な取り調べの様子が生々しく語られました。1年近くにわたって拘束され、情報を遮断される中で、一貫して容疑を認めなかったことが何かを物語っているのでしょう。精神的にも、肉体的にも、並大抵のことではなかったと思います。
 4年前の区長選立候補の動機について「区の幹部や議員が連日クラブにたむろし、士気が低下している区政を建て直そうと考えた。藤枝区長からも依頼された」と答えました。ご存じの通り、この辺りのことは私たち元気クラブも大いに関係があります。
 今回は被告人質問の第1回目でしたが、初めて藤澤氏と弁護人から明かされた内容は、私にとって大変興味深いものでした。特に「SK氏、MK氏に絡んでもうすぐ藤澤区長が逮捕される」という情報が、区役所5階で連日ある筋から流された時期があり、これは警視庁の捜査の進捗状況とぴったり一致します。ここでの立件を見込んだけれど、事実は食い違っていてうまくいかなかった、ということでしょう。
 それにしても、当時庁内では藤澤氏に絡んで新光の「し」の字も出て来ませんでした。藤澤区長逮捕当時、「新光は区長じゃなくて助役でしょう?」、そんなの常識、と言わんばかりの職員がおいでになったことを今だから書いておきます。
 藤澤氏は8月1日に保釈されたとのことですが、まだ公判中なので色々と制約はあるようです。次回の公判は、9月6日午前10時から東京地裁530法廷。藤沢氏の本人尋問の続きが行われます。
 なお、この間の公判については、「荒川あれこれ」区議会レポート59号4面、60号3面、「区議会質問・討論」の2005年第2回定例会一般質問、「ゆうこのひとりごと」の3/27、6/19、7/3に記事があります。のぞいて見て下さい。