斉藤ゆうこのあらかわ日和

斉藤ゆうこの区議会レポート 2015年新年号
頌春
 新しい年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。
 旧年中は皆さんからあたたかいご支援をいただき、本当にありがとうございました。
 4月の区議会選挙を経て、私たち地方議会もうかうかしてはいられない情勢になってきました。今年も「生きられる町、暮らせる政治。」を実現するため、区民の皆さんの声に応えてしっかり働き、あわせて国に言うべきことはどんどんモノ申していきます。
 2・3面に「敗戦から70年。地域から『暮らせる政治』をめざす」を書きました。お正月にゆっくりお読みいただければ幸いです。
 さて、私の後援会「斉藤ゆうこと101人の会」は今年10月に30周年を迎えます。大きな政党に所属せず、自前の地域政治団体「あらかわ元気クラブ」をつくって、既成政党とは一味ちがう政治活動を長く展開してこられたのも、区民の皆さんのご理解とご支援があってこそと心から感謝しています。
 一方でこの30年、果たして区民の暮らしは良くなったのだろうか、地域の皆さんの期待に応える区政や国政になったのだろうか、と自問自答する日々です。『微力だけれど無力じゃない』は長崎の高校生平和大使の言葉ですが、私もその心境でさらに精進していきたいと心に誓う新年です。今年も《既成政党にかわる区民の代表》の役目を果たしていきますので、ご支援ください。
 厳しい寒さがつづきますが、どうぞお元気で暖かい春をお迎えください。

2016年1月

あらかわ元気クラブ区議会議員 斉藤ゆうこ


ゆうこのひとりごと
●今年は参院選挙の年だ。与野党の動きもあわただしい。欧州ではとっくに命運の尽きた連立政権入りにこだわり、「日米安保棚上げ」という本質回避で国民の願望からかけ離れた野党共闘を唱える『革新政党』もある。「安保法制廃止」だけで内閣ができるなんて誰が信じるの?愚民政策は政権政党だけじゃないのね~。
●変えなきゃいけないのは日米関係だ。荒川区の小中学生が臨海学園でお世話になっている下田市の「豆州郷土資料館・開国博物館」を見学した。今から162年前の嘉永6年(1853年)、ペリーの黒船が来航し、日本の開国の端緒となった「日米和親条約」が締結された、いわば『日米関係発祥の地』だ。条約の第1条には「日本国と合衆国とはその人民永世不朽の和親を取り結び場所・人柄の差別之これなきこと」とある。なんとも皮肉なことだ。「昭和のペリー」になりたかったマッカーサーが、日本が太平洋戦争の降伏文書に調印する際、ペリーが条約締結時に掲げた星条旗をわざわざ本国から取り寄せて掲げさせた、との苦々しい記述もあった。
●アジアに目を転じると、荒川区は中国大連市、韓国済州市とふたつの国際友好都市が今年10周年を迎える。大連市の旅順といえば、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公で海軍作戦参謀・秋山真之を思い出す。日清・日露戦争の功労者として功績を称えられたが、その後、孫文の辛亥革命を支援し、晩年は新興宗教・大本教に入信、49歳でその生涯を閉じている。若き日、戦争の渦中に身を置いた彼の胸中に去来したのは戦勝の栄光だったのか、それとも国の命運を賭けて闘う中で多くの将兵を犠牲にした悲惨な戦争への無常の思いだったのだろうか。
●さて今年の関心事のひとつは、尾久本町通り・東尾久ふれあい館建設の進展具合。昨年の決算委員会では「賃貸アパートは近日中に建物を除却して土地取得手続を行う。今後は他の地権者との交渉を精力的に進める」と答弁があった。
●もうひとつは「日暮里活性化施設」がどんなものになるかだ。区費を投じて2件の土地を取得したのだから、ただの区民事務所ではすまされない。「単に区民事務所建て替えでなく、地域と産業活性化のための施設をつくる」と区は繰り返し答弁してきた。画期的な建物の出現を期待し
て計画策定が待たれる今年だ。

敗戦から70 年。地域から「暮らせる政治」をめざす。

 1945年9月2日、日本はアメリカ太平洋艦隊の旗艦・ミズーリ号上において敗戦の降伏文書に調印しました。
 それから70年…。極東軍事裁判という戦勝国による裁きではなく、この戦争に駆り出され、辛酸をなめた日本人自身の手で、日本国民の名において戦争指導者を裁き、敗戦の責任を内外に明らかにすることを曖昧にしてきた70年に終止符を打ちたいものだと思います。
 このことは「日本は本当に独立国なのか、主権国家なのか」という問題と表裏一体の関係です。昭和21年(1946年)、アメリカによる占領下で極東軍事裁判が開廷され、わざわざその1周年に当たる昭和22年(1947年)5月3日に日本国憲法は施行されました。7年にわたる米軍占領時代を経て、昭和27年(1952年)に「全面講和か単独講和か」が国論を二分して争われ、死者まで出してサンフランシスコ講和条約が発効しました。私が生まれる前年のことです。
 戦後の我が国の進路を決定したこのサンフランシスコ講和条約と、同時に締結した日米安保条約。これに縛られ、米ソの冷戦終結から24年経った今日も依存し続けてきたことが、日本の真の独立と主権国家としてのありようを歪めてきた要因ではないでしょうか。
 敗戦から70年。TPP交渉では、他国の担当者をして「よくそこまで譲れるね」と言わしめ、安保法制においてはアメリカの世界戦略に組み込まれ、米軍の指揮の下に自衛隊との軍事一体化を進める法制化が行われました。
 こういう状況を見て、最近は多くの普通の国民の中から「日本はアメリカの属国から抜け出すべきだ」という声がひんぱんに聞かれるようになりました。与党も野党も政党や政治家の方が本の独立や主権という根本問題を避け続け、国民の素朴な疑問に答えられていません。国会での安全保障の議論や食料自給の議論が生煮えなのも、アメリカとの『共依存関係』に慣れきって自立することを恐れるまでになった政党や政治家が与
野党を問わず国会に多いからじゃないでしょうか。
 私たち地方議員は、こういう国会議員に日本の将来を任せて洞ヶ峠を決め込んではいられません。国会議員ばかりが日本の進路や生業を決める訳ではありません。47人の知事と都道府県議会、全国の区市町村の首長と区市町村の議会が、地域に生きる人々の安全と暮らしを良くするために果たす役割は大きいです。『地方創生』のかけ声とは裏腹に、地方を困窮させる国の政策に対してはモノ申していこう、と考えて質問しました。

隣の国は引っ越せない。友好都市10周年の中国大連市と深い交流を

 荒川区は国の内外の多くの友好都市を持っていますが、その中には、現在につながる歴史上の舞台だった所もあります。
 そのひとつ、来年、国際友好都市提携10年となる中国の大連市中山区。日清戦争で日本が占領し、日露戦争では最大の激戦地となった大連市旅順口区は、中山区の西に位置する歴史的因縁の深い場所です。私が10年前に参加した荒川区国際交流協会の区民ツアーでも旅順におもむき、保存されている当時のロシアの要塞の跡を見学し、203高地にも行きました。日・露が旅順開城の交渉を行った水師営会見所跡は当時の建物が復元されて資料館になっています。
 現在では大連市の観光名所のひとつであり、日本人の多くは大連に行けば必ず立ち寄ると言ってもよい場所ですが、記録によれば、155日間に及ぶこの旅順攻防戦で犠牲となって死亡した日本人の将兵は7,578人、ロシアの将兵は6,739人。負傷者を含めると日本側が61,400人、ロシア側は約30,000人に上ります。「観光名所」というには余りにも重い歴史的因縁の地です。
 日本軍の兵隊は全国各地から召集されました。なかなか攻略できない旅順要塞に対して白タスキ隊を編成して突撃を繰り返す戦術を取り、多くの兵士が犠牲になりました。一方の帝政ロシアでは、度重なる兵役と待遇に不満を持つ労働者や農民出身の兵士が多く、首都ペテルブルグで軍隊がデモ隊に発砲した「血の日曜日」で有名な1905年の革命の時期でした。
 旅順は日本人、ロシア人双方の多くの国民の血が流された、まさに屍累々の場所です。また、日清戦争に敗戦し、内乱状態にあった当時の中国人は、占領や列強によって租借される屈辱的な状況の中で、土地を奪われ、家を焼かれ、戦闘に巻き込まれて、多くの人々が犠牲になっています。友好都市の私たちは、この地で命を落とした人々に対して、国の違いを超えて慰霊と鎮魂の気持ちを表わす場所ではないでしょうか。
 帝国主義国同士が権益を奪い合い、覇権を競う戦争に駆り出され、結局、死んでいったのは両国の労働者や農民、普通の人々であり、土足で踏み込まれた国の人々でした。
 帝国主義列強の仲間入りをした大日本帝国が大国ロシアと争って辛うじて勝利を収めた日露戦争については、日本海海戦を日本・ロシアの双方の事情から詳しく描いた吉村昭氏の小説『海の史劇』もあり、興味深く読みました。
 明治政府つまり薩長政府は日清・日露、第一次・第二次大戦と4回の戦争を行い、太平洋戦争だけで310万人もの国民が死に、植民地支配や侵略によって同じアジアの人々に多大な損害を与えました。そして最後は、日米和親条約から100年目のサンフランシスコ講和条約の締結によって、アメリカの同盟国として支配下に組み込まれるに至りました。「長州出身の宰相」のあの方は、この歴史的経過をどう総括しているのか、伺ってみたいものです。
 「日中関係は国交正常化以前に戻った」といわれる昨今、大連市中山区との友好都市提携10周年にあたり、このような歴史的経過をふまえた深くて広い友好関係を構築すべきではないか、と考え、区としてどのような認識なのか聞きました。

【池田洋子 地域文化スポーツ部長答弁】
 荒川区と大連市中山区は、平成17年4月、中山区長の荒川区への表敬訪問を契機に交流が始まり、10周年を迎えます。
 大連市中山区は、中国東北部の政治経済の中枢機能や大学などの教育機関が集積し、観光資源にも恵まれており、平成17年度から22年度の区民ツアーでは、延べ約80名の方々のご参加をいただきました。また、少年野球チームの子ども同士の交流、荒川区・中山区、両区職員の相互派遣研修も行いました。このように荒川区と大連市中山区は、様々な交流を通して、お互いの歴史や文化を学んできました。日本と中国大陸との交流は、弥生時代にさかのぼると言われており、2,000年にもおよぶ友好往来の歴史があります。近代100年においては不幸な歴史もありましたが、昭和47(1972)年には日中国交正常化の共同声明、昭和53(1978)年に日中平和友好条約が締結され、日中間の友好交流の扉が開かれました。そうした背景を受け止めつつ、この交流10周年を一つの大きな契機と捉え、歴史的、文化的、民族的な繋がりを共に学び合うことを通して、基礎自治体同士ならではの交流や、住民相互の草の根の交流がさらに深まるよう努めてまいります。

女子医大病院 移転問題
 昨年5月1日、女子医大は足立区と協定を締結、「移転予定地は足立区の江北エリアデザイン検討地域内で、足立区は再来年度を目途に用地確保に取り組むこと。足立区が予定地を確保し、東京女子医大に貸付けること。診療体制等は第三次救急病院、災害拠点中核病院、周産期医療センター、がん治療センターなどを想定し、協議すること」などを協定に盛り込みました。
 しかし、ここは都有地なので、東京都が足立区に売らなければ成立しない話です。荒川区としては500床近い入院施設が区内から失われれば大変な事だと主張しなければなりません。 
 まず、区民の命に係わる医療が失われてはならないという視点から、第三次救急医療を担う病院が区東北部に1ヶ所しかない実態を踏まえ、医療面での深刻な影響について荒川区として東京都に早急に申し入れる必要があります。区はどのように対応するのか、聞きました。女子医大病院の移転は区民の一大事です。基礎自治体の荒川区として、東京都への対応をぬかりなくやってほしいものです。

【倉橋俊至 健康部長答弁】
 移転問題が地域における医療面、区民に与える深刻な影響について、全く同様の認識を持っています。とりわけ、医療面では、病床数や診療科目数、救急医療体制及び災害時の医療体制などの影響があげられます。様々な機会を捉え都に対して申し入れを行ってきたところであり、今後はさらに働きかけを強めていく所存です。

消費税増税
 来年4月の消費税率10%への引き上げに際し、「軽減税率」の導入が決まりましたが、対象品目、減収の規模や社会保障費との関連について混乱がありました。
 「軽減税率を導入しても物価は下がらない。そればかりかドイツでの調査によれば、高所得者層に恩恵が大きく、低所得者対策にはならない。さらに軽減税率は対象品目をめぐって特定業界への事実上の補助金となり、業界と族議員との癒着を生む」と湖東京至税理士は分析しています。年末の報道で実感でしたね。
 消費税は消費者が負担する税金ではなく、法律上の納税義務者は事業者であることは、産業経済部との共通認識です。赤字でも年に一度納税しなければならないこの税を増税することで、どれほど荒川区内の中小事業者が苦境に陥るのか。平成17年度に免税点が年商3,000万円から1,000万円に引き下げられて以降は、区内の小規模な事業者も納税義務を負うことになり、廃業の引き金となりました。
 明らかな輸出補助金政策である消費税の輸出還付金制度によって、税率が上がれば輸出大企業が得る還付金も上がり、5%で3兆円なら10%で6兆円、20%なら12兆円となる。輸出大企業のおひざ元の税務署では、管内で集めた消費税の全ての額よりも、輸出大企業一社に還付する金額の方が多く、国に納める額がマイナスになるという笑えない話もあります。
 消費税のさらなる増税は荒川区の地域経済にとって決定的なマイナスです。この際、アベノミクスの恩恵のない中小事業者を多く抱える荒川区として、免税点の引き上げ、簡易課税の復活、国家財政が赤字だというのならば、輸出のゼロ税率を廃止するなどの根本的対策を国に求めるべきと思います。当局の見解を聞きました。
【石原久 産業経済部長答弁】
 消費税の制度設計については、社会保障と税の一体改革の中で、国がその責任の下において行うものであり、国によって議論がなされるものと認識しております。
 区独自の景況調査等で事業所ごとの経営状況をきめ細かく把握し、その実態を踏まえ、必要性があり、公平かつ合理性のある事項については、必要に応じ、国や都に対して申し入れていきたいと考えております。

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 昨年11月11日、全国町村議会議長会は全国大会で「日米地位協定の見直しに関する特別決議」を上げました。米軍基地建設やTPP合意、参議院の定数減などで地方と政府の対立があらわですが、保守系の方々が多い全国町村議長会がこのような決議を上げたことはそのひとつの現れでしょうか。

■日米地位協定見直しに関する特別決議
 我が国には、日米安全保障条約に基づく日米地位協定によって31の都道府県に131施設、約10万2,000ヘクタールの米軍基地施設が所在している。
 米軍基地を抱える全国の町村は、我が国の防衛、安全保障の一翼を担う一方、米軍基地の存在による住民生活への過重な負担を抱えている。
 特に、全国の米軍専用施設の約74%を占める沖縄県においては、米軍基地から派生する事件・事故や航空機騒音、環境問題、並びに米軍人・軍属等による犯罪が、戦後70年を経た今日においてもなお後を絶たず、地域住民の生活に多大な影響を及ぼしている。
 日米地位協定は、日米を取り巻く安全保障体制や我が国の社会環境が大きく変化しているにもかかわらず、昭和35年に締結されて以来、50年以上もの間、一度も改正されていない。
 これまで運用改善や環境補足協定の締結がなされてはいるものの、米軍基地から派生する様々な事件・事故等から国民の生命・財産と人権を守るためにはまだ不十分で、根本的な解決のためには日米地位協定を抜本的に見直す必要がある。
 よって、日米地位協定を抜本的に見直しされるよう、強く要請する。
 以上、特別決議する。

第59回 町村議会議長会 全国大会
■障がい者グループホーム設置推進に関する意見書

 荒川区議会の11月会議で、自民党区議団が提案した意見書が全会一致で上がりました。
 民間事業者の善意に頼るだけでは限界がある障がい者のグループホーム。切実で大事な内容です。項目部分のみ紹介します。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
1.グループホーム設置にかかる土地の取得に対する補助金の新設及び建設・改修にかかる補助金の上限を引き上げること。
2.重度障がい者を受け入れるにあたり、重度障害者支援加算の要件を緩和し、実態に応じた人員配置に見合った加算とすること。併せて、重度障がい者の特性に鑑み、看護師を配置した場合の補助金・加算を新設するなど、補助金及び加算の充実を図ること。

平成27年12月11日

内閣総理大臣・厚生労働大臣・東京都知事あて

日暮里繊維街で 本会議で一般質問

アメリカへの従属をやめて
自立・平和の日本を

昨年11月22日のシンポジウム シンポジスト・司会

(司会)広範な国民各層の立場で日本の国のあり方を変える政策と大きな運動をつくりたいと考え、このシンポジウムを開きました。ご意見をお願いします。
TPP合意は国会決議違反
批准を阻止しよう
(鈴木)日本はTPP合意のためなら何でもして、アメリカの草刈り場となりました。他の国が譲らなければ、どっちとも取れる表現を提案し、「決まったことにした」のが『大筋合意』です。日本は自国民の利益を守るために頑張っている他の国を「あいつら何やってんだ」と陰でののしっていました。情けない限りです。
 日本は農産物の関税以外でもアメリカに譲歩しました。軽自動車の税金1.5倍、自由診療の拡大、薬の値段を決める制度の見直し、かんぽ生命のガン保険非参入、全国2万の郵便局での米アフラック社の保険販売。全部アメリカの要求を満たすためです。政府は「TPPやアメリカとは関係な
く自主的にやった」と言っていますがウソです。TPP合意の付属文書には「アメリカの要求でやります」と書いてあり、「米国投資家の追加要求は規制改革会議に付託してやります」と書いてあります。どこまでもアメリカの言うことを聞くという底なし沼です。
 世界でもっとも競争にさらされてきたのが日本農業です。アメリカの農業はすごい戦略の下に、コメと穀物の3品目だけで1兆円の輸出補助金を使って売りさばいています。ウィスコン州大学の教授は「日本が標的だ。日本人が直接食べる食料だけでなく、畜産のエサとなる穀物も全部アメリカが供給すれば日本をコントロールできる」と授業で教えています。
 大企業は「農業をやりたい」と言っていますが、99%の地域はなくていい。「儲けられる1%の地域を俺たちの自由に使わせろ」ということなのです。アベノミクス、地方創生のねらいはここにあります。
 このように農業がつぶされ、地域も維持できなくなるような状況を納得するわけにはいきません。TPPは国会決議違反です。批准反対の国民世論を盛り上げて国会批准を阻止しましょう。そして、農家保護の議論ではなく、農業が自分たちの食料を守り、地域や環境を守っていることを国民がきちんと認識し、それに対価を払うという政策を確立すべきです。
もうひとつの新しい日本を描かない限り沖縄の問題は解決しない
(玉城) 55年前に60年安保で国会前に集まった学生や労働者、今回国会前に集まった人たちに共通するのは、岸内閣とその孫の安倍内閣の強権的な政治、アメリカ追随の姿勢に対して、「こういう日本ではなく、もうひとつの新しい日本があるはずだ」という思いではないか。国民の中に、国会の議論を超えて「こういう日本のあり方はまずいのではないか」という政治への思いが出てきた。これはとても得難い、素晴らしいことだと思います。
 日本の政党を定義づける一番簡単な方法は「アメリカとの距離感」です。つまり、アメリカとどのくらい距離をもって政治に接しているかを考えれば、その政党の位置が大体分かります。アメリカとズブズブの距離感の人たちでアメリカと差がないところに、明確な新しい防衛問題や安全保障の議論が深まらない理由があるのだろうと思います。戦後70年も経っているわけですから、これは非常に深刻な問題です。
 「もうひとつの新しい日本」というものをつくり、大きな絵を描いていく中でしか、沖縄が抱えている問題も基本的には解決しないと私は考えています。長期的には、広範な国民連合がめざしているような統一戦線をつくっていく。安保条約についてもかつての『体制選択論』のような視点ではなく、「70年間も外国の軍隊を駐留させて日本はこれでいいのか」と右にも左にも通用するような投げかけをしていく。特に政党にいる方々は、そういう考え方で戦略を練ってほしい。
 知事が埋め立て承認を取り消すと、政府は行政不服審査法で審査請求をしました。石井大臣は公明党です。沖縄の公明党は移設反対ですから非常に苦悩していますが、良心的に頑張っています。翁長知事は政治家として世論に訴え、民意を尊重する民主政治の大道を進んでいますが、大変厳しい闘いになります。しかし、売られたケンカですから我々も辺野古の大衆運動を支え、強化しながら、広く全国の世論に訴え、硬軟おりまぜながら闘っていきます。
なぜこんな日本になったのか
おとなは総括して教えてほしい
(元山)沖縄県宜野湾市の出身で普天間基地のそばで生まれ育ちました。生まれたときから基地があったので「基地はおかしい」という意識は全くありませんでした。授業中にオスプレイやジェット機が通ると授業が一時中断しました。それに慣れて当たり前だと思っていたので、沖縄では疑問をもたないまま暮らしていました。
 2011年に上京し、「自分が住んでいたところは何だったのか」「なぜあんなところに住んでいたのか」と思いました。普天間基地が有名になった時、周りから質問されて沖縄の歴史、日米安保条約、日米地位協定を勉強しました。これはおかしいと思い活動を始めました。 
 また、生活保障は私たちの身近な問題です。大学の学費が値上げされたり、「奨学金」という名の借金をして卒業後に300万円ほど返さなくてはなりません。奨学金は借りやすく、返しやすくするか、無償で借りられるようにすべきではないかと思います。東京、大阪、名古屋で引越しのバイトや季節労働で学費や生活費を稼ぐ友だちが大勢います。就職はできますが、大企業に富が集中してしまう経済のあり方では、みんなが満足
できる職につけるわけではありません。他方で「予備自衛官を採用した企業を優遇する」というようなことも報じられており、災害だけでなく、戦地に行く友だちが出てくるかもしれません。このように不安定で、貧困がまん延している世代です。こんな社会に絶望感を持っています。それでも仕方がないとあきらめず、「おかしいことは、おかしい」と言っておきたいと思ったので、SEALDsに入って声を上げています。
 今まで若い人が出てこず、「若い人は無関心だ」と言いたい放題言われてきました。自分たちはまだまだ足りないところがあると思うけれど、ずっと活動されてきた皆さんに問いを投げかけることができたのではないかと思います。日本はなぜこんな社会になってしまったか。皆さんが今までやってきた運動の何が良くて、何が悪かったのか。私たちのためにもぜひ総括して教えていただきたいと思います。
地方自治を許さぬ安倍政権
ここまでやっちゃいけない
(露木)神奈川県の一番西にある小さな町、開成町の町長を13年間やりました。職員には「おねだりではなく、自分でやるべきことはやろうじゃないか」と言ってきました。しかし、私が町長だったら激怒するようなことを安倍政権、菅官房長官はやっています。自分の言うことを聞かなければ、県知事も市長も飛ばして地元自治会に直接カネをぶち込む。私はそんなことやられたら官邸に殴り込みます。ちょっと前まで「地方分権」とさんざん言っていたのに、「自分の言うことを聞く自治体なら地方分権」「言うことを聞かない自治体は叩きのめす」。そんなやり方で国と地方の関係をつくることは絶対に許せない。安倍さんは地方の自己決定権を認めない。かつての保守政権は「色々あってもここまでやっちゃいけない」というセンスと見識がありましたが、今は壊れています。多くの保守的な人もおかしいと思っているはずです。私は自分のできる範疇で「おかしい」という声を上げていきたい。そう思っています。 (続く)

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