河内ひとみのあらかわ日和

2014年12月3日 2014年11月24日

斉藤ゆうこの区議会レポート 第76号

暑中お見舞い申し上げます

 4月の区議会選挙では力強い応援やご意見をいただき、本当にありがとうございました。選挙後、さっそく震災被害の相談や放射能汚染問題に取り組み、6月議会で一般質問しました。今期初めての区議会レポートをお届けします。どうぞご覧下さい。
 さて、大震災から4ヶ月半、福島原発の事故は終息せず、復興への道程は見えてきません。規制値を上回る放射性セシウムの牛肉の流通、玄海原発の再稼働のための世論操作、大飯原発の事故停止など、次々と問題が明るみに出てきました。
 アメリカ経済の悪化が一段とすすみ、世界の国々が真剣に自国の進路を模索する中、日本は経済でも外交や安全保障でも、相変わらずアメリカ追随の政策を変えていません。1950年代に始まった原発の導入も、いま民主党政権がねらっているTPP(環太平洋連携協定)の導入も根っこは同じで、背後に星条旗が棚引いています。ここを変えないと日本の未来はない、と強く思うこの頃です。
 支持率10%台になった菅首相はまだ辞めません。ドサクサに紛れて介護保険法を改悪し、消費税を10%に引き上げる閣議了承をし、米軍基地を増強し、コメを先物取引(投機)の対象にしました。辞めさせる方も力不足です。地域の知恵を集め、既成政党にかわる広範な勢力を結集して政治を変えたい夏です。

あらかわ元気クラブ代表 荒川区議会議員 斉藤ゆうこ 

東日本大震災・福島原発事故をふまえて荒川区の政策をどう変更するのか

 3月11日の東日本大震災と福島原発の事故は、被災地をはじめ全国の国民生活に大きな打撃を与え、これまでの日本の経済・政治・社会のあり方が根本から問われる状況になりました。雇用や地域経済の危機、安全・安心な国づくりと街づくり、復興財源や原発に替わるエネルギーへの転換・・・・政治が解決すべき課題は山積しています。
政局が混乱をきわめる中、区民の利益を守るには区政をどのように転換すべきか。区議会も緊張感を持ち、「きのうまでの政策の続き」で本当に良いのか、原点にかえって区政を洗い直さなければなりません。

『想定外』ではなかった地震・津波・原発事故。隅田川の津波、液状化、超高層ビル群は?安全な荒川区へ 街づくり政策の見直しが必要

●取り壊し・建て替えの負担軽減を

老朽家屋や危険箇所の撤去、建て替えにはお金がかかるため、躊躇する区民も少なくありません。震災をきっかけに工事を決断する区民が増えている今、助成制度を拡充して区民の負担を軽くしてほしいと質問しました。

【倉門 彰/都市整備部長 答弁】
現在、区は「住宅建設購入あっ旋制度」を行っている。昭和56年5月31日以前に建てられた場合には、耐震化の費用一部補助の制度があり、補助額は23区でも最高額。さらにこの助成制度の周知に努める。(注:7月1日の区報に支援制度が紹介されました。)

●汐入東小学校の被害。原因と責任は?

屋上プールなどに歪みが生じた、新校・汐入東小学校。震災対策特別委員会では「躯体にはなんら問題ない」との答弁でした。歪みの原因は特定できたのか、地盤が弱い地域だと思うが液状化の影響はないのか、聞きました。

【新井基司/教育部長 答弁】
汐入東小学校の被害は、壁の細いクラックの発生とプールに装備した可動床の損傷。建物本体や内装に問題はないとの調査結果だった。プールの可動床の被害は、貯めてあった水が可動床とその支柱等に損傷を与えたことが明らかになった。今後、プールの維持管理方法について検討を行う。汐入東小学校の耐震強度は基準の1.25倍。地震災害時の対策に万全を期している。

●超高層ビルと周辺には危険がいっぱい

巨額の補助金を投じた日暮里北地区再開発ビルの内部にもヒビ割れが・・・。私も現場を見てきましたが、原因究明と責任の明確化はすすんでいるのでしょうか。
超高層の建物が増え続ける荒川区では、地震による落下物の危険性も見逃せません。安全性という点では『風害』も同様に対策が必要です。区の考えを聞きました。

【倉門 彰/都市整備部長 答弁】
共用廊下の壁や天井に使用している石こうボードの一部にひび割れが発生した。しかし、構造体などに被害はなく、建物の安全性は問題ないとの報告を受けている。(注:委員会では「西松建設と協議中」と答弁) 落下物防止の指導は、区の「マンション条例」や指導要綱で行い、建築後の風の影響を軽減するため、建物形状の検討や樹木の設置などを行っている。今後も建築主の責務として落下物の防止や風に関する事前調査を十分に行うよう指導する。

 今回の地震・津波を教訓に、再開発で高層化を推進してきた荒川区の街づくり政策を見直し、隅田川の津波や液状化の可能性もきちんと調査・検証して、区民にとって安全な荒川区にしていかなければなりません。
津波・原発事故も、経済効率ばかり優先して想定を低く見積もったことが原因でした。荒川区にもこうした弊害があると思います。震災を契機に、安全性を軽視して規制緩和をすすめてきた日本の建築行政・街づくり行政の見直しをすすめていきます。

どうして荒川区は独自測定をしないの?かたくなな区の姿勢では、区民は「幸福を実感」できない。災害弱者の子ども・高齢者・障害者の安全確保を!

■安全の押し売りはたくさん。大丈夫かどうかは区民が決める。

 小さな子どもを持つ区内のお父さん、お母さんたちの最大関心事となっている放射線の影響。本会議では『区の独自調査は行わない』との見解が3回繰り返されました。
私は、荒川区のこうした態度は、不安な日々を過ごし、『幸福が実感できない』状態にある子育て世代の親たちの気持ちと大きくスレ違い、失望を招いていると警告しました。
「測定値を公表すると地価が下がる。風評被害が出る」「大丈夫なんだから騒ぐ必要はない」「原発ヒステリーだ」などという発言を聞くにつけ、私は『国民を信用しない愚民政治』の匂いを感じます。
大丈夫かどうかを決めるのは行政ではありません。区民ひとりひとりが判断することです。避難するのか、外出を控えるのか、数値が高いところでは遊ばないのか、支障なし、とするのか、判断や対処も人によって違います。
区民の中には、この間の政府の二転三転する対応や情報操作に対する不信感が募りに募っています。区民の心配に配慮して独自測定を行なうのが、身近な行政の態度ってもんじゃないの!?
今からでも独自の測定の実施・公表・情報提供を徹底的におこない、区民の信頼を得るべきだと質問しましたが、答弁は同じだから割愛っ(怒)。4面にも関連記事を書きました。

■食物アレルギーを持つ子どもたちは、どれくらいいるのか?

 まず、子ども数と症状の実態把握について報告を求めました。震災などの災害時に、食べるものが限られる子どもがいることを理解し、孤立しないようにすることが大切です。

【金田麻里子/健康部長】
保育園や小中学校で除去食や代替食などを提供している人数は、平成22年度、区立保育園で120人(6.5%)、小学校で203人(2.5%)、中学校で60人(1.9%)。今後も正しい理解と対応ができるよう、普及啓発に努める。

■高齢者・障害者の帰宅や避難の対策を。

 マンションの高層階に住む車いす、電動車いすを使用されている高齢者、障害者はエレベーターの停止で立ち往生した、と訴えています。今後の対応を聞きました。

【和気 剛 福祉部長/答弁】
このたびの災害で、大規模災害時における人的支援の重要性を再認識した。こうした状況を踏まえ、高齢者や障がい者に対する災害時の支援体制を強化していく。

荒川2丁目の複合施設は不要不急な『箱モノ建設』と言われない計画に変更を。

■国土交通省の通達をどう受け止めるか。

 大震災は、都区財政調整交付金や区の財政にも大きな影響を及ぼします。区民も、この間の荒川区の土地購入や施設建設のあり方に厳しい目を向けています。国土交通省から「事業者、材料等の被災地への優先的対応」「公共工事等の中止」などに関する通達が出されました。これらを区はどう受け止めているのか、聞きました。
また、今年度予算では基本設計の委託費7700万円が計上されましたが、現段階での進捗状況をたずねました。

■吉村昭文学館は日暮里が適地。この場所には、廃園した幼稚園の復活を。

 荒川図書館の現在地建て替えが不可能な状況にあるため、特色ある地域の図書館がこの場所に建設されることに依存はありません。
しかし、日暮里生まれの吉村 昭先生ゆかりの文学館は、日暮里駅から近い日暮里再開発ビルの中に区がスペースを取得し、史跡・観光案内とともに置くことが、地域文化の面からも望ましいと思います。
そこで複合施設を分離し、現在もっとも優先的に必要な保育園・幼稚園・高齢者施設の中から、この地域にもともとあったにもかかわらず区が廃園にした峡田幼稚園に替わる幼稚園を併設すべきと提案しました。
財政が厳しくなることが予測される今日、これなら区民も納得できるという複合施設への組み合わせに変更し、限られた財源を有効に使っていくべきです。

【北川嘉昭 総務企画部長/答弁】
築49年を経過して老朽化が進んだ現在の荒川図書館は、早期に建て替えが必要だ。文学館・子ども施設との複合施設は、単独施設ではなし得ない事業展開が可能で、必要性が高い。延期していたプロポーザルの選考を開始、国の指針については適切に受け止め、対処する。今後も行政需要と財政状況などのバランスを十分に図りながら、必要な公共施設の整備を進める。

原子力発電に依存したエネルギー政策をどう考えるか?本会議で西川区長に聞きました。

測らない理由は見つからない。

●荒川区は23区で唯一、区内の放射線量の独自測定をしない区となりました。6月議会では「測定にあたっては正確な値となるよう十分に配慮しなくてはならず、測定技術、測定設備機器と放射線に関する知識が十分に備わる専門機関が行う必要がある」(岡本壽子/環境清掃部長)との答弁が3回にわたって繰り返され、もうウンザリ。私の所には「荒川区は子どもの健康より地価の方が大事なんですか?」というメールも届きました。
●今回の牛肉セシウム汚染で、「市場に流通しているものは安全」という前提は崩壊しました。お茶や淡水魚などの汚染もわかり、細胞分裂が盛んな子どもの食べ物による内部被爆を意識せざるをえなくなりました。親たちが食材の産地に気をつかい、自衛しようとするのは当たり前のことではないでしょうか。
●19日の健康・危機管理対策特別委員会では、区の放射線対策を求め、子どもの健康を守る陳情が審査されました。採決は、『採択4・不採択1・趣旨採択5』でいずれも過半数に至りませんでしたが、ここでも区は「現状で問題はないので独自測定は必要ない」「これ以上の事態は想定しない」との姿勢を崩しませんでした。

西川区長の「信念」。その背景は?

●「独自測定しないのは私の信念だ」と周囲に話す西川区長。私は、その西川区長に6月23日の本会議で「原発に依存したエネルギー政策を転換し、全ての原発を止めて『脱原発』の日本をめざすべきだと思うが、地方自治体の長としてどのような見解をお持ちか?」と質問しました。

●西川区長は「福島の原発が国民に迷惑をかけた。国が基本的なエネルギー政策見直しの中で明確な方針を立てるのは当然だ」とした上で「ドイツが脱原発、スイスもイタリアも追随、だから日本も、ということにはならない」と述べ、「直ちに50数基をシャットダウンして日本の経済や産業や国防も十分保全できるなど、そんな軽率な思いは持っていない」「今すぐ稼働中のを止めて政治混乱やエネルギー不足を招来するのは…。代替エネルギー策を講じてからでも遅くない」、と7分間にわたり持論を展開しました。
●この答弁の中で西川区長は、2001~3年に経済産業大臣政務官、副大臣を歴任した折、青森県六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪れたエピソードを披露されました。私がこの当時の出来事で思い出すのは、2002年の東京電力データ改ざん事件です。柏崎刈羽原発、福島原発が安全点検のために全基停止となりましたが、この時、西川区長は経産省の副大臣として東電の原発の運転再開に積極的な役割を果たした、と記憶しています。
●私は最近、「『知事抹殺』―つくられた福島県汚職事件」という本を興味深く読みました。著者はこの時、県民の命を守るため、国とやり合って福島原発を停止させる側に立った当時の佐藤栄佐久・福島県知事です。ある日、通産省(当時)の原子力安全・保安院から18枚のファックスが県庁に送られてきた。それは、第一・第二原発中枢の損傷を隠し、長年にわたり点検記録を改ざんしてきたという内部告発だった。原子力安全・保安院はそれを2年間も握りつぶしていた …と事件の様子が生々しく描かれています。
●西川区長と佐藤前知事はこの時、福島原発をめぐり、国と県という対局の立場にいた事になります。東電にとって西川区長は、いわば「恩人」と言えます。そう考えると、今年3月の計画停電で西川区長が東電に怒り心頭だったのも、うなづける気がしました。
●原子力発電は「最もクリーンで低コストなエネルギー」と宣伝されてきました。政府や電力会社、これに連なってきた政治家に責任を取ることはもはや不可能です。国民は途方もなく高い代償を払うことになりました。

ゆうこのひとりごと

原発・正力・CIA

●節電は暑い、とにかく暑い。私は最近の日本の夏がキライだ。バブルの頃と違い、原子力発電を全部止めても電力不足には陥らない、と藤田佑幸氏はシミュレーション。火力発電で電力需要は充分まかなえる、というのだ。玄海原発の再稼働は「やらせメール」で頓挫し、他もストレステストで先行きは不透明。稼働中の19基も年内に点検入りとなる。エネルギー政策転換は正念場だ。

●「原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史」(有馬哲夫著・新潮新書)という本、読みました? 戦後、日本に原発を定着させた経過に、アメリカのメディア操作が深く関わっている事実。脱原発は脱アメリカでもある。心してかからないとねっ。

●夏の「全国地方議員交流会」は今年で9回目。超党派の地方議員の集まりです。8月22日午後、地元・日暮里のホテルラングウッドで、佐藤栄佐久・前福島県知事の記念講演『「ふくしま原発と地方自治』。一般参加も可です。聴きたい方は私にご連絡下さい。

●東日本大震災の余震の中で闘った今年の選挙は一生忘れられない選挙になるだろう。区内の駅頭や商店街でお預かりした義援金は、宮城県議の坂下康子さんを通じて石巻商工会議所に届けてもらいました。電話を頂き、写真と領収書が送られてきました。紙面を借りて皆さんに御礼申し上げます。

●「斉藤ゆうこと101人の会」は今年で25周年。四半世紀頑張ってこられたのも区民の皆さんのおかげです。これからもたくさん応援して下さいっ。