河内ひとみのあらかわ日和

2014年11月25日 2014年11月24日

『証拠と証人のない贈賄の風景』
-斉藤ゆうこの公判レポート(その1)
[1月19日、石崎克博氏の初公判傍聴メモより]

1.検察による起訴事実は次のような内容でした。
・平成13年(2001年)10月1日、港区赤坂の「重箱」において、荒川区役所本庁舎管理契約の受注継続と、荒川総合スポーツセンター管理契約受注に有利な取り計いを受けるため、現金50万円を賄賂として藤澤氏に渡した。
・平成14年(2002年)5月24日、荒川区役所4階応接室において、本庁舎およびスポーツセンターの受注の謝礼と、今後の有利な取り計いを受けるため、現金100万円を賄賂として藤澤氏に渡した。

2.検察の冒頭陳述は以下のような内容でした。
・石崎克博氏は北海道上川郡出身。昭和49(1974)年に上京し、叔父・荒川拓巳氏の新光ビルサービスに入社、その後、取締役となった。
・会社は、昭和37(1962)年に本社を文京区千駄木3丁目に置き、(有)新光ビルサービスとして発足、後に株式会社となり、昭和63(1988)年に(株)新光ビルシステムに改称した。
・昭和49(1974)年7月に荒川区役所本庁舎の清掃、警備業務の委託を受注、平成14(2002)年4月に荒川総合スポーツセンターの管理業務委託を受注した。
・藤澤志光氏は荒川区長として荒川区の契約に関する監督業務を行ない、指名選定委員会に加わるなど、区の契約に決定権限を有していた。
・荒川総合スポーツセンターの業務委託は、昭和60(1985)年から随意契約により、トピーレックが受注していたが、平成12(2000)年頃、荒井元助役、高橋前助役から「特命随意契約から見積競争方式になる見込みである」と聞かされるとともに受注をすすめられ、この契約に関心を抱くようになった。高橋前助役を訪問し、この契約について話を聞いた際、将来会社に多大な利益をもたらすかもしれないと思った。
・石崎氏は、藤澤氏が都議会議員の頃から面識を有していたが、一時期後援会を脱会して疎遠になっていた。平成13(2001)年の荒川区長選挙で荒井前助役を支援したものの、藤澤氏が圧勝したため、不利益をこうむるのではないかと危機感をもった。そこで、高橋助役に7月17日に面会した際、藤澤区長への取り次ぎを依頼した。
・荒井氏を支援した業者からは、藤澤氏が『新光は確か向こう側だよな。これからは選別しないとダメだ』と言ったと聞いた。そこで高橋助役の取り次ぎで、荒川区役所において藤澤区長と面会した。『区長就任おめでとうございます』と挨拶したが、冷淡な態度だった。飲食の接待をと考えたが、他の業者から『来年は危ないよ』と言われたこともあり、賄賂として現金を供与するしかない、と決意した。
・飲食接待の場所として鰻店「重箱」を、赤坂の「すいせん」を二次会に選び、藤澤氏を招いた。『本庁舎の件ではお世話になっています。スポーツセンターも来年は外へ出すと聞いていますが』と言うと、『その件は助役と良く話してよ』と言われたので、区長選挙のことは水に流してくれたと考えた。
・荒川専務が席を立ったので、封筒に入った現金50万円を『これをお使い下さい』と言って渡した。藤澤氏は『どうも』などと言って受け取った。
・その後、高橋助役から、本庁舎の契約について藤澤区長が『新光はそのままでいいから』と言ったと聞いた。また、平成13(2001)年12月頃、藤澤区長が見積競争方式に新光を加えるよう高橋助役に指示、『新光が取れるのか。うまくやってくれ』と言ったことを聞いた。平成14(2002)年2月26日、見積競争の結果、随意契約が決定した。
・4月1日からスポーツセンターの業務を引き継いだが、トラブルが発生して区に苦情が殺到し、藤澤区長が対話集会で釈明するような事態となった。石橋教育長から叱責を受け、このままでは外されるのではないか、と感じた。
・単身、高橋助役を訪問し、そのあと区長室隣の応接室で藤澤区長と面会した。スポーツセンター受注のお礼と今後契約に変更のないようにお願いしたい、との趣旨で『どうぞお使い下さい』と現金100万円を渡し、藤澤区長はこれを承知しながら受け取った。

3.検察側が、甲1号から3号証(捜査段階での調書など)を証拠として申請しました。
・新光ビル荒川専務:荒川区との契約は、先代以来、30年間受注してきた記念すべき契約である。自分は現金を渡した現場は見ていない。
・石崎被告:電話で『スポーツセンターの契約の予定価格ですが、79(注:7千9百万円)を切れば大丈夫ですよね』と言ったら高橋が笑ったので、この線だと思った。
本庁舎は、新光ビルの営業利益でマイナス13.7%、スポーツセンターはマイナス18.8%。赤字で「叩き合い」で取った。
・高橋祥三前助役:「重箱」での接待は知っていた。平成14(2002)年2月21日に事前説明に行ったとき、藤澤区長から新光について指示を受けた。平成13(2001)年12月、藤澤区長に『新光でいいですか?』と聞いたら『いい。新光は力があるから』と言われた。(予定価格の件は)石崎氏が電話で『79を切ったら・・・』と言ったので、つい笑ってしまった。『わかりました。ありがとうございました』と言ったので、そう取ったのだと思う。
・藤澤前区長:平成13(2001)年10月1日に石崎氏と会っている、ということになっているが、記憶はない。

4.ここで、情状証人として石崎氏の妻が出廷し、弁護人が質問しましたが、事件の本筋とは特に関係がなく、身元引受人としての確認が主の内容ですので、ここでは省略します。

5.弁護人が石崎氏に質問しました。以下、(弁)は弁護人、(石)は石崎氏です。
(弁)あなたは、昭和49(1974)年7月に新光ビルに入社。前社長の荒川拓巳氏は叔父で縁戚関係に当たる。平成10(1998)年9月に代表取締役になった。その間、会社の年商は50億円から150億円になった。このことについてどのような評価を受けていたか?
(石)『50億までは自分、それからはお前がやった』と先代社長に言われていました。
(弁)30年以上、荒川区役所本庁舎の契約を受注している訳だが、荒川会長(前社長)はこの契約にかなり思い入れがあったのではないかと思う。あなたが社長になったからと言って簡単に手放せるものではない?
(石)それはできません。
(弁)あなたは区長選挙で荒井候補を応援したわけだが?
(石)藤澤さんのウワサでまわりが言うのは「顔は笑っているが、心の中では何を考えているかわからない」。
(弁)当選してどう思ったか?
(石)大変なことになってしまった、と思った。
(弁)あなたは藤澤さんから『すべて知っているんだよ』『荒井を応援したね』などとキツイ対応をされましたね。どう思いましたか?
(石)外される、と思いました。
(弁)そういうことができる人ですか?
(石)そう思われました。
(弁)金銭の授受については?
(石)それしかない、と思いました。
(弁)仮に藤澤氏が区長になっていなければ、こんなことはなかったか?
(石)そう確信しています。
(弁)スポーツセンターの契約に至る経過は?
(石)当初、やる意志はなかった。行政の中のこともあるし、色々しがらみもあるので全くやる気はなかった。区の押し付けで、赤字になると思った。しかし、一部床貸し方式になる、指定管理者制度の前段のような形だとの説明を受け、高橋助役から『区の財政の手助けをしてくれ』と言われて、会社として将来の礎になるのでは、と考えるようになった。
(弁)あなたは任意同行の際、容疑を否認していたが、4~5日目に全て認めた。最初は認めなかったのに、なぜ転じたのか?
(石)会社の役員も数人呼ばれ、朝から夜遅くまで取り調べを受けた(泣)。業界にも迷惑がかかることを考え、真実を申し上げた。
(弁)47日間の拘束中、何を考えたか?
(石)会社への償いをしなくてはと思った。弁護人を通じて会社に指示を出した。逮捕直後、代表取締役、取締役を辞任した。今後の復職のイメージについては、どこかの時点で民間対象の仕事に、と思っていた。
(弁)ところが関連会社6社の役職を全て解任された。会社はあなたにどういう対応をしたか? 戻って来てくれ、というような対応はあったのか?
(石)残念ながらありません。
(弁)居場所がないということか?
(石)200件弱の指名停止を受けたことで、会社から『損害賠償をしろ』と言われた。
とても自分には考えられない(泣)。何でこんなことを言われるのか、会社のために働いてきたのに(泣)。
(弁)現在、生活はどのようにしているのか?
(石)以前の会社の仲間数人で助けてくれており、一緒に仕事をしている。同業の仲間も沢山助けてくれている。
(弁)今後は、奥さんの言うことを聞いてやっていくか?
(石)そのようにします。

6.検察側が石崎氏に質問しました。以下、(検)は検事、(石)は石崎氏です。
(検)平成13(2001)年10月1日、「重箱」で藤澤氏と会食したことは間違いないか?
(石)間違いありません。
(検)何をお願いしたのか?
(石)本庁舎管理の指名とスポーツセンターの指名です。
(検)現金を渡した動機は?
(石)対立候補を応援したので外されると思った。情報も入っていたし、現にそういう態度だった。
(検)現金を渡したことは間違いないか?
(石)白い封筒で50万円渡した。
(検)藤澤氏も了解していると思ったか?
(石)そう思いました。
(検)そのとき、どんな様子だったか?
(石)特別変わったことはなかったが・・・。
(検)藤澤氏の機嫌は良かったか?
(石)はい。
(検)2回目は御礼、という趣旨で応接室で100万円を渡したということだが、この時の様子はどうだったか?
(石)以前と変わらない様子だった。
(検)これまでに商品券や飲食などの接待はあったのか?
(石)通常の営業活動はあった。
(検)藤澤氏は捜査段階では容疑を認めていない。それについてどう思うか?
(石)正直にお話しいただきたい、と思っています。
(検)このような状況に至ったのは、藤澤氏が「元凶」ということではないか。何か思いはないか?
(石)色々と思いはあります。
(検)事実をキチンと話してほしい、ということか?
(石)しっかり話していただきたい、と思います。

7.ここで、裁判長が石崎被告と検事に質問しました。以下、(裁)は裁判長です。
(裁)冒頭陳述の中の「来年は危ないよ、と言われた」という部分、この主語は誰か?
(検)別の業者から言われた、ということです。
(裁)「一部???方式」「指定???制度」とは何。ことばが正確につかめないので。
(検)「一部床貸し方式」、「指定管理者制度」である(と説明)。
(裁)荒川区と前社長との関係について。
(石)荒井前助役は契約開始当時にお世話になったので、この人を頼れ、と言われていた。
(裁)どのように現金を準備したのか?BR> (石)当日、金庫の中から出した。自分は特別配当や役員手当などをすべて現金でもらっていたので、それらが金庫の中に入っていた。
(裁)全部あなた個人のお金ということか?
(石)一部会社の経費も入っている。区別はできない。
(裁)お金の力で公務を歪めるということは荒川区と区民に対する犯罪だ。なぜこのようなことに及んだのか?
(石)藤澤氏に会いに行く直前に現金を渡そうと判断した。外されるのでは、という危機感があった。
(裁)金額を決めた理由は?
(石)特にない。多額と思っていた。

8.検察による論告、求刑がありました。
・被告人は、区長選挙で対立候補を応援したことから、本庁舎の指名競争入札から外され、スポーツセンターの見積競争から排除されるという危機感を抱き、犯行に及んだ。
・150万円は多額な金であり、結局は契約で得た収益からまかなわれたものである。
・これまで荒川区の幹部職員を接待してきた経過もあり、このような犯行に至った。
・求刑は、1年6ケ月が相当である。

9.弁護人が情状酌量を求める弁論を行いました。
・被告人は、北海道で定職もなく、上京して新光ビルに入社した。荒川区との契約は、叔父である荒川会長が窓拭きから始めて取ってきた仕事である。また、スポーツセンターの契約は赤字であり、荒川区に恩を売るつもりであった。被告人の行為は、会長の荒川氏から受け継いだ伝統を守ろう、との念であり、単なる私利私欲ではない。
・しかし、被告人は会社からいっさいの役職を解任され、関連会社にも関与するな、と言われ、多額の損害賠償を請求された。
・現在は、新光システム時代の社員で、信頼する部下数人と会社をはじめ、業界の仲間からも支援してもらい、新たなスタートをしている。
・会社から受けた冷遇に比べて、仲間と家族から暖かく迎え入れられている現状から、こうした人々を裏切れない、と考えており、再犯はあり得ないと考える。

[私の印象と感想]
 石崎克博氏には、すでに2月14日、有罪判決が示されましたが、いま思い返しても、この1月19日の初公判は、その後に続く藤澤前区長の公判を含めて、争点となる事実関係が一気にあらわになった、大変印象深い公判廷でした。
 検察側の冒頭陳述などには、かなりの部分に高橋前助役の供述が反映していることが感じられました。そして、新光ビルへの情報提供や指示、藤澤区長への取り次ぎも全て高橋氏を介していることがわかります。
 特に、「一部床貸し方式になる」「指定管理者制度の前段のような形」と、今後の行政の政策的変化をオシエテあげてる点。そして「79(ナナキュウ)」などと、見積競争の価格にふれるやり取りは、聞いていて大変生々しいものがありました。私は『行政と企業と議員の一部にある癒着』などという言葉を度々つかってきましたが、ああ、こういうことだったのね、というリアルな感じ。経験がないからわからないんデス。
 また、荒井前々助役と新光ビルの前社長との長きにわたる深い関係も伺い知ることができました。接待は過去から日常化しており、要するに最終的に現金授受でヤリ玉に上がったのが藤澤前区長、という構図です。いったい誰の裁判なんだろう。
 1月20日の産経新聞に掲載された『ある区議の感想』は、私のこの印象を取材に来ていた記者に語ったものですが、この日の公判を傍聴して、贈収賄の核心部分について私が感じたことを、以下3点述べておきたいと思います。

1.石崎氏が現金を渡した、という行為には証拠がなく、証人がいない。

 1回目は、同席していた荒川専務が『席を立った際』に現金を渡しており、目撃者はいません。2回目は応接室にふたりきりで、これも目撃者はいない。芥川龍之介の『薮の中』の世界です。

2.石崎氏が現金を出納した記録も残っていない。

 裁判長の質問に対して、石崎氏は『金庫に入っていた現金を自分で出した』と答えています。したがって預金通帳の記載や会社の出納記録もない、ということではないでしょうか。会社の経理担当者に出金を命じたり、家族に依頼したり、という行為があれば金額も含めてある程度の証拠になると思いますが、それもない。

3.収賄側の藤澤氏の「賄賂性の認識」については情況証拠に過ぎず、言質はない。

 『これをお使い下さい』『どうも』というやり取りを聞く限り、『相手方も賄賂であることを承知していた』というには根拠が希薄という印象です。政治献金ではなく、贈収賄であることを立証するのであれば、それ相当の言葉のやり取りが必要だと思うのですが、この部分についての検事の質問に対する石崎氏の答えには迫力が感じられませんでした。

 とにもかくにも、石崎氏には「有罪」という判決が下りました。検事の石崎氏に対する『このような状況に至ったのは藤澤氏が元凶ということではないか』という言葉の中に、この事件に対する検察側の心象が読み取れます。この日の公判では、相手候補を応援したために、選挙に勝った藤澤氏から『報復』を受けるのではないかと恐れを抱いた、という筋書きが繰り返し描かれましたが、そのことは、裏を返せば『あまりにも長き癒着』の成れの果てなのではないでしょうか。(つづく)